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尖閣問題

海保の精神は「正義仁愛」――タジタジの中国政府

2016年8月22日(月)15時40分
遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)

尖閣沖で頻繁に領海侵犯をくり返す中国船 REUTERS/11th Regional Coast Guard Headquarters-Japan Coast Guard

 11日に尖閣沖で中国漁船と衝突したギリシャ貨物船は中国福建の港に寄港させられ取り調べを受けているが、それがまた中国ネットユーザーの批判を浴びている。一方、日本の海保の精神は「正義仁愛」。これでは日中韓外相会談開催を中国は嫌うだろう。

事故の瞬間、中国公船は接続水域にいた

 日本の報道によれば、中国漁船とギリシャ貨物船の衝突事故が起きたのは11日の5時半頃で、一方、「11日の朝方には中国公船は尖閣沖から姿を消していた」とのことだった。

 この「11日の朝方には」という「朝方の時間」によっては、何が起きたのかを分析する際に非常に異なってくる。

 事故が起きる前に中国公船がいなくなったのか、それとも事故が起きてからいなくなったのか。

 そのどちらだったとしても、なぜなのか?

 そして、なぜ中国公船は中国漁船を助けなかったのか、あるいは助けられなかったのか?

 それを紐解く前に、どうしても「中国公船がいなくなった」と報道されているその時間帯を正確に知らなければ謎が解けない。

 そこで思い切って日本の海上保安庁(以下、海保)に直撃取材をした。

 すると意外な回答が、海保から戻ってきた。

「事故が起きた時、中国公船は尖閣の接続水域にいましたよ」
というのである。

 では、何が起きていたのか?

海保の精神は「正義仁愛」

 さらにしつこく食い下がると、以下のようなことを教えてくれた。

1. 8月11日05:32に、海保は国際VHF(Very High Frequency)という周波帯の無線電波を傍受した。これは国際的に決められている周波数の救難信号である。

2. 海保は巡視船および航空機をすぐさま救難信号の方向の現場海域に急行させ、06:05に事故現場に到着した。救難信号の電波を発信していたのはギリシャの貨物船だったので、貨物船から状況を聴取して衝突事故の概況を掌握。

3. 衝突した相手の中国漁船は沈没している模様で、緊急に船員の捜索に当たったところ、漂流していた中国漁船船員6名を発見し、6名の人命を救助することに成功した。

4. 人命救助の時は、ともかく「人の命を助ける」ということに全神経を集中しているので、周りの状況になど目を配るゆとりはなかった。

5. しかし6名の船員を救助した後に、ふと周りを見ると、そこには6隻の中国公船が到着していた。いつ到着したのかは定かではない。海保が事故現場に到着した時には、事故海域には中国公船の姿はなかったように思う。船名や船の正体を正確に見極めるのには相当の時間がかかり、かなり近くまで接近しないとできない。人命救助が最優先だったので、それを正確に確認するゆとりはない。

6. さらなる人命救助のために遭難者の捜索に当たった。救助した中国漁船の船員から聞いたところによれば、乗組員は全員で14名。まだ8名が見つかっていない。必死の捜索を続けたが、8名は見つからず、気が付けば中国公船も行方不明者の捜索に当たっているようだった。

7. 海上保安庁の精神は「正義仁愛」。どの保安官に聞いても、必ず間違いなく「正義仁愛の精神に基づいて行動している」と回答するだろう。

 以上がおおむねの回答であった。

 6名の人命を救ったのは、まちがいなく日本側である。それはもしかしたら事故現場に到着した時間差による違いだったかもしれないが、その原因は中国側が発表しない限り突き止められない。中国自身がどのような判断をしたのかは分からないという。

「いずれにせよ、海保にあるのは『正義仁愛』のみ。ともかく目の前に人命の危険があれば、それを救うために全ての力を注ぐ。それだけです」と海保は言葉を結んだ。

 その志の高さには、深い感動を覚える。

ギリシャ貨物船を福建に寄港させて取り調べている中国

 その中国、8月13日の新華社福州(中国・福建省)によれば、福建海事局が、中国漁船と衝突を起こした「嫌疑」により、ギリシャ貨物船を中国海事パトロール船の監視下に置き、中国福建省沿海部の港に寄港させ、海事調査を受けるよう命じたとのこと。

 これは中国交通運輸部(日本の省に相当)海事局の指示に基づいたもので、福建省海事局は事故調査班を設置し、ギリシャ船籍貨物船を調査していると発表。

 この報道に対して、中国大陸のネットユーザーたちが、また騒いでいる。

●ほう、いったい誰が6人の船員の命を助けたのか、一文字たりとも書かないのか?

――書く勇気がないんだろ?

●いったい誰が助けたんだい? 

――日本だよ。日本の巡視船さ。俺は書く勇気を持っているぜ。

●中国の巡視船は?海警船は何してたんだい?

――さあね、救難信号が聞こえなかったんじゃないかい?お茶でも飲みに行ってたとか?

――いやいや、仕事を終えて帰宅したんじゃないのかい?

――釣魚島って、中国の古来からの島だろ? 海警船はいつもいるんじゃないのか?

●ふだん、中国の海警船は釣魚島のまわりに常駐しているよ。なのに、なんで、日本が先に(事故現場に)着いたんだい?やっぱり、実際のコントロール権に関しては、日本の方が優勢なんじゃないのかな?

●ギリシャ貨物船を中国漁船と衝突した「嫌疑」で監視下に置いたって言ってるけど、なに? 船の中に日本人がいて偽装工作をやっていたか否かを調べてるっていうわけ?

――中国は「嫌疑」をかけることしか、できないのか。

――自国の民を助けるために駆け付けることはできないくせに、他国の船を「嫌疑」の名の下に拿捕するのだけは早いんだから。

●今度は「反ギリシャ運動」でもする?ギリシャ製品不買運動とか? そういうことに注意をそらさせても無駄だよ。

●日本人は中国に対して、なんて良くしてくれるんだろう。これを「人道精神」って言うんだろうね。国籍とは無関係なんだよ。

●日本の巡視船が助けるなんて!得難いことだよ!これはどういう精神から来ているんだろう?

 8月15日付け本コラム「中国衝撃、尖閣漁船衝突」にも書いたように、中国政府はネットの力に押されて8月11日の夜、ついに日本の行動を称賛する声明を発表している。

 そして今度は、その「不名誉」を埋め合わせネットユーザーの批判をかわすために、ギリシャ貨物船を「中国の力」の下で監視下に置き取り調べをしていることを公表したというのに、名誉を挽回したどころか、新たな政府批判を招いてしまった。

精神性の高さ

 筆者が驚いたのは、日本の海保を取材したときに初めて知った「正義仁愛」に代表される「海保の精神」という言葉と、中国のネット空間で数多く見られる「人道精神」や「これはどういう精神から来ているんだろう?」といったネットのコメントなど、「精神」という言葉がそこにあるという一致だった。

「力」ではなく「精神」が、もし最後に重要な役割を果たすのだとすれば、それは何とも心強いことだ。

 この「精神性」において、このたびの件は日本の快挙であった。しかも、海保側は高い志でやるべきことをやっただけで、次の勤務に専念し尾を引いてない。

 しかし中国では、その「精神性の欠如」ゆえに、いまだに尾を引き、ネットユーザーから厳しい指摘を受けていることは興味深い。

 8月5日から11日にかけて急増した中国公船と漁船の尖閣沖侵入は、8月6日と9日の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典を目指して、日本に「犠牲者ぶるな」というシグナルを発するためだった。オバマ大統領の広島訪問により「日本に対する歴史カード」の効力が弱まることを懸念した威嚇だったと解釈できる。

 9月4日から中国の杭州で開かれるG20で中国包囲網を作らせないようにするために慰霊のための行事を利用するなどという、その「精神性の低さ」は至るところで露呈し、中国の心あるネットユーザーにも見透かされている。

日中韓外相会談を嫌う中国

 日本の外務省の発表によれば、今年、日本で開催することを予定している日中韓サミットに向けて、23日から行なわれることになっている日中韓外相会談に関して調整が行われているが、具体的日程に関しては発表が見送られたとのこと。21日、日中韓の外務省次官級による最終調整のための協議が都内で開催され このとき日本と中国による二国間会談も開かれた模様。日本側は中国公船による領海侵入に強く抗議したようだが、中国のネットユーザーからここまで批判されている状況では、中国としては「大きな顔」をして日本と向き合うことはできないはず。会談では中国側は、「釣魚島は中国の領土」という独自の主張を繰り返したらしいが、本心はそれどころではないにちがいない。

 中国のネットユーザーが「精神性」に行きついたということに、中国政府はきっと「タジタジ」といったところだろう。

 海保の「正義仁愛」という精神が、ついに外交の場で発揮され始めたと解釈することができる。日本の快挙だ。

追記:ここに来て日程調整に難航した後、結局、日中韓外相会談は8月24日に東京で開催されることになった。中国外交部は「日本がどうしても来てほしいというから、やむなく参加するだけだ」という弁明の記者会見を行なったが、国内世論がいかに厳しいかを如実に示している。

endo-progile.jpg[執筆者]遠藤 誉
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会科学研究所客員研究員・教授などを歴任。『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』『チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男』『完全解読 中国外交戦略の狙い』『中国人が選んだワースト中国人番付 やはり紅い中国は腐敗で滅ぶ』『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』など著書多数。近著に『毛沢東 日本軍と共謀した男』(新潮新書)


※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

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