コラム

インドの理不尽な裁判を舞台に社会の分断を描く『裁き』

2017年07月07日(金)16時00分

さらに、カンブレのキャラクターにも現実が反映されている。タームハネー監督は、容疑者に仕立て上げられた実在の人物ジッテン・マランディにインスパイアされたという。マランディは、左派勢力のシンパとして音楽や演劇、討論などを通して、弱者を搾取する大規模な開発などに抵抗してきたが、危険人物とみなされるようになり、19人の人々が虐殺された事件の容疑者10人のひとりとして逮捕された。その後、裁判が繰り返され、解放されるまでに6年かかったという。

分断された二つの世界

そしてこの映画にはもうひとつ、際立った特徴がある。それは、裁判と並行して、女性検察官、弁護士、判事の私生活も描き出されるということだ。たとえば、女性検察官は、妻や母親として伝統的で、どちらかといえばつつましい生活を送っている。これに対して、人権派の弁護士は、車で聴いているジャズやスーパーで購入する食品類など、かなり西欧化された生活を送り、実家も裕福に見える。

タームハネー監督は、法廷を中心としたドラマのなかで、カンブレや死亡した下水清掃人とその妻が生きる世界と、検察官や弁護士、判事が生きる世界を巧妙に対置している。そんなふたつの世界は、明らかに分断されている。

この映画には、逮捕前と保釈後とカンブレが2度、舞台に立つ場面があるが、彼のパフォーマンスは、病気を抱えているとは思えないほど生気に満ち溢れている。しかし、法廷では別人のように寡黙になり、感情を表に出すことがない。また、弁護士に信頼を寄せているようにも見えない。カンブレにしてみれば、検察官も弁護士も揺るぎないシステムに組み込まれた歯車であり、不毛なゲームを繰り広げているだけなのだろう。

まともな教育が受けられない貧しい子供たち

そんな分断された世界を踏まえて、この映画の冒頭を振り返ってみると、最初に描かれるエピソードが非常に興味深く思えてくる。カンブレは狭い部屋に子供たちを集め、勉強を教えている。おそらく彼らは、まともな教育が受けられない貧しい子供たちなのだろう。ちなみに、カンブレのモデルになったマランディも、子供の頃に勉強がしたかったが、貧しくて学校に通えなかったと語っている。

そこで思い出されるのが、ノーベル経済学賞を受賞したインド出身の経済学者アマルティア・センとジャン・ドレーズの共著『開発なき成長の限界――現代インドの貧困・格差・社会的分断――』のことだ。本書には、教育と社会的分断に関して以下のように書かれている。


「インドでは極端なまでの階層化が教育の分野で容認されるようになってきているが、これはあまりにも正義に反しているだけでなく、躍動的な経済と進歩的な社会の土台を築き上げていくうえできわめて非効率的でもある。貧困、カーストによる分断、階級の壁、ジェンダー間の不平等、民族や社会集団に関連する社会的格差などによって押さえつけられている圧倒的多数のインド人をないがしろにしながら、一部の人たちだけが教育の恩恵を受けている。効率性と公平性を一緒に考えてみるという構造的な視点を持てばこそ、教育をめぐるこうした現状によって、インドがどのように(そして、どれだけ多くの)代償を支払っているかが最もよくわかるのである」

《参照/引用文献》
Deaths in the drains by S. Anand | Opinion | The Hindu
Fight for what's left: The story of Jiten Marandi, the Jharkhand activist by Dipti Nagpaul | The Indian Express
・『開発なき成長の限界――原題インドの貧困・格差・社会分断――』アマルティア・セン/ジャン・ドレーズ 湊一樹訳(明石書店、2015年)


プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

ニュース速報

ビジネス

中国の個人投資家、MMF解約し株式に投資

ワールド

米最高裁、17年ぶりの連邦政府の死刑執行認める 下

ビジネス

独VWとSAIC、約6億ドル投じ上海工場刷新へ ア

ワールド

韓国、環境分野で雇用創出 950億ドル投資へ

MAGAZINE

特集:台湾の力量

2020-7・21号(7/14発売)

コロナ対策で世界に存在感を示し、中国相手に孤軍奮闘する原動力を探る

人気ランキング

  • 1

    東京都、新型コロナウイルス新規感染206人 4日連続200人台、検査数に加え陽性率も高まる

  • 2

    新型コロナの起源は7年前の中国雲南省の銅山か、武漢研究所が保管

  • 3

    世界へ広がる中国の鉱物資源買収 オーストラリア・カナダ両国が「待った」

  • 4

    24歳年上の富豪と結婚してメラニアが得たものと失っ…

  • 5

    中国・三峡ダムに「ブラックスワン」が迫る──決壊は…

  • 6

    GoToキャンペーン「感染防止に注意し活用を」菅官房長…

  • 7

    抗体なくてもT細胞が新型コロナウイルス退治? 免…

  • 8

    なぜテレワークは日本で普及しなかったのか?──経済、…

  • 9

    中国・長江流域、豪雨で氾濫警報 三峡ダムは警戒水位3…

  • 10

    「自粛要請」で外出を控えた日本人は世界に冠たる不…

  • 1

    「金正恩敗訴」で韓国の損害賠償攻勢が始まる?

  • 2

    中国・長江流域、豪雨で氾濫警報 三峡ダムは警戒水位3.5m超える

  • 3

    科学者数百人「新型コロナは空気感染も」 WHOに対策求める

  • 4

    中国・三峡ダムに「ブラックスワン」が迫る──決壊は…

  • 5

    東京都、新型コロナウイルス新規感染206人 4日連続2…

  • 6

    生き残る自動車メーカーは4社だけ? 「ゴーン追放後…

  • 7

    24歳年上の富豪と結婚してメラニアが得たものと失っ…

  • 8

    中国・超大国への道、最大の障壁は「日本」──そこで…

  • 9

    世界へ広がる中国の鉱物資源買収 オーストラリア・カ…

  • 10

    「香港国家安全法」に反対の立場を取ったトルドーに…

  • 1

    中国・三峡ダムに「ブラックスワン」が迫る──決壊はあり得るのか

  • 2

    「金正恩敗訴」で韓国の損害賠償攻勢が始まる?

  • 3

    国家安全法成立で香港民主化団体を脱退した「女神」周庭の別れの言葉

  • 4

    中国・長江流域、豪雨で氾濫警報 三峡ダムは警戒水位3…

  • 5

    科学者数百人「新型コロナは空気感染も」 WHOに対策求…

  • 6

    世界最大の中国「三峡ダム」に決壊の脅威? 集中豪…

  • 7

    中国・超大国への道、最大の障壁は「日本」──そこで…

  • 8

    孤立した湖や池に魚はどうやって移動する? ようや…

  • 9

    東京都、新型コロナウイルス新規感染107人を確認 小…

  • 10

    ポスト安倍レースで石破氏に勢い 二階幹事長が支持…

PICTURE POWER

レンズがとらえた地球のひと・すがた・みらい

英会話特集 グローバル人材を目指す Newsweek 日本版を読みながらグローバルトレンドを学ぶ
日本再発見 シーズン2
CCCメディアハウス求人情報
定期購読
期間限定、アップルNewsstandで30日間の無料トライアル実施中!
Wonderful Story
メールマガジン登録
CHALLENGING INNOVATOR
売り切れのないDigital版はこちら

MOOK

ニューズウィーク日本版別冊

絶賛発売中!