ニュース速報

ビジネス

アングル:英ダイソン、なぜシンガポールでEV生産するのか

2018年10月30日(火)16時19分

ダイソンのロゴ。北京で2018年9月撮影(2018年 ロイター/Damir Sagolj)

John Geddie and Aradhana Aravindan

[シンガポール 24日 ロイター] - サイクロン掃除機などで知られる英家電大手ダイソンの創業者で富豪のジェームズ・ダイソン氏が、シンガポールに電気自動車(EV)の製造工場を建設する計画を発表すると、一部で驚きの声が上がった。

土地が極端に少ないこの都市国家は、平均賃金が世界で最も高い国の1つであるだけではない。米自動車大手フォード・モーターがシンガポール工場を閉鎖して、同国の自動車生産が実質的に終了してから40年近くが経過しているという事情もある。

「コスト基準や、他に自動車工場がないことを考えれば、少々驚きだった」と、自動車業界向けコンサルタントのJDパワーで地域ディレクターを勤めるシャンタヌ・マジュムダール氏は言う。

シンガポールを選んだ理由について、サプライチェーンや市場へのアクセスが良好であり、専門家を容易に採用できる環境であるため、コスト要因を相殺できる、とダイソン氏は23日説明した。

今回の決断を後押しした要因は、他にどんなものがあるだろうか。ライバルの米EV大手テスラ のように、始めから世界最大のEV市場である中国を工場建設地に選ばなかったのはなぜか。

シンガポール工場建設の是非を検証した。

●「高コスト」対「手厚い支援」

他の世界都市と比べても、シンガポールの平均賃金(税引き後)は世界最高水準にあると、ドイツ銀は試算している。工業用地は少ないうえに高価で、消費者物価指数も世界で上位にランクしている。

だが、高スキルの技術者や科学者の人材が豊富であることに加え、シンガポール政府はダイソンのようなテクノロジー企業に対して手厚い支援策を講じている。

支援策には、延長可能な5年間の税制優遇措置や、ビジネス効率改善に向けたプロジェクト費用の3割をカバーする政府補助金などが含まれる。シンガポール政府は、ダイソンがこうした支援策を受けるかどうか明らかにしなかった。

シンガポール政府は、同国経済生産の4分の1に満たない製造業の生産性を押し上げようと、ハイエンドなメーカーや、自動化した生産ラインを採用する企業の誘致に力を入れている。

●「小さい市場規模」対「中国の玄関口」

EVをここで製造するにしても、実際、シンガポールや他の東南アジアを走るダイソンの自動車はごくわずかだろう。

シンガポールで個人が所有するEV数は1桁にとどまる。テスラのイーロン・マスク最高経営責任者(CEO)は過去に、シンガポールがEV支援に積極的ではないと批判している。

シンガポールは、世界的に自家用車を所有するコストが最も高くつく国の1つだ。政府は、一定の年数に自動車を所有・使用する権利として料金を徴収し、自動車の保有台数を厳しく管理している。

東南アジア全体では、今年のEV販売予想台数はわずか142台にとどまる、とLMCオートモティブのデータは示している。

対照的に、中国では今年、販売台数がほぼ70万台に達すると見込まれている。これは、米国と欧州での合計販売台数の倍にあたる数だ。

世界有数の取扱量を誇る港を擁するシンガポールに工場を置くことで、ダイソンは、完成後1時間以内にEVを中国や韓国や日本などの主要市場に向けて出荷してしまうことも可能だろう。

羽根なし扇風機や空気清浄機、ヘアドライヤーなどの製品も扱うダイソンは、中国などのアジア市場で高級ブランドとしての地位を築きつつある。同社によると、昨年の成長の70%はアジアだった。

●「既存の足場」対「新たな市場」

ダイソンがシンガポールで既に一定の足場を築いていたことも、今回の決定の要因だっただろう。

同社はすでに、この地で1100人の従業員を抱え、年間2100万台のデジタル電気モーターを製造している。また、シンガポールと2つの橋でつながれたマレーシアや、フィリピンにも製造拠点を持つ。

「もちろん驚いたが、シンガポールは東南アジアの中心であり、近隣国から部品を供給させ、ここでハイテク車を組み立て、製造するのには最適だろう」と、アジアの多国籍企業と取引する銀行員は語った。

ダイソンは、ライバルのテスラのように、中国という世界最大の市場に工場を構える選択肢もあっただろう。

ダイソンが最初のEVを世に送り出す2021年には、テスラはすでに中国で国内製造した車の販売を始めているかもしれない。テスラは、86万平方メートルの土地に同社初の海外巨大工場「ギガファクトリー」を建設する契約を上海当局と結んでいる。

だが、中国市場はEV製造では混戦状態になりつつあり、中国政府も補助金の抑制に乗り出している。

一方のシンガポールは、中国と広範な自由貿易協定を結んでおり、関税削減の対象品目にはさまざまな種類の自動車や自動車部品が含まれている。シンガポール経済開発庁に、EVが関税免除対象に含まれるかを質問したが、現段階では回答がない。

ダイソンは、知的財産保護の問題も考慮に入れただろう、とJDパワーのマジュムダール氏は指摘。「シンガポールでは、知的財産が厳格に守られており、それは間違いなくアドバンテージだ。中国に行けば、その点では、それほど安心していられないだろう」

(翻訳:山口香子、編集:下郡美紀)

ロイター
Copyright (C) 2018 トムソンロイター・ジャパン(株) 記事の無断転用を禁じます。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ロシア経済、悲観シナリオでは失速・ルーブル急落も=

ビジネス

ボーイング、7四半期ぶり減収 737事故の影響重し

ワールド

バイデン氏、ウクライナ支援法案に署名 数時間以内に

ビジネス

米テスラ、従業員の解雇費用に3億5000万ドル超計
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴らす「おばけタンパク質」の正体とは?

  • 2

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗衣氏への名誉棄損に対する賠償命令

  • 3

    マイナス金利の解除でも、円安が止まらない「当然」の理由...関係者も見落とした「冷徹な市場のルール」

  • 4

    心を穏やかに保つ禅の教え 「世界が尊敬する日本人100…

  • 5

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 6

    ケイティ・ペリーの「尻がまる見え」ドレスに批判殺…

  • 7

    イランのイスラエル攻撃でアラブ諸国がまさかのイス…

  • 8

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    コロナ禍と東京五輪を挟んだ6年ぶりの訪問で、「新し…

  • 1

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 6

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 7

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    「毛むくじゃら乳首ブラ」「縫った女性器パンツ」の…

  • 10

    ダイヤモンドバックスの試合中、自席の前を横切る子…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこと」目からうろこの健康法

  • 4

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の…

  • 5

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 10

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中