World Voice

ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々

新町智哉|ミャンマー

ミャンマーで事業継承し、運営するという事【フリーペーパーmyan myan】

2018年myan myan9月号日本語版表紙

皆さんこんにちは。
ミャンタメプロデューサー新町智哉です。
ヤンゴンは大分涼しくなってきました。
今日は最高気温29度、最低気温は25度です。

いかがでしょうか?
涼しくなったといっても日本で言うところの熱帯夜必至というこの気温です。
とはいえ雨期も終わって湿度も下がりいよいよ本来ならば(クーデター禍でなければ)観光シーズン到来というところです。

雨期も終わったのですが、何故か今朝も雨が降りました。
ミャンマーでは涙雨と呼ばれ悲しい事があると季節外れの雨が降るそうです。
今年は本当にそういう事が多いと感じています。
自然もこの悲しみを深く感じているという事でしょうか。

さて、悲しいことばかりではありますが、めげてばかりもいられません。
今回は珍しくエンタメに特化した話をしたいと思います。
私ががっつり陣頭指揮を取ったヤンゴンのとあるフリーペーパーの話です。
もともと5年程続いていた事業ですが、1年強我らがMAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. が関わる事になった時のお話です。

長くなるので前編、後編に分けて書こうかと思います。
場合によっては中編があるかもしれません。
なんせ1年以上関わった事業ですからかいつまんでもどれだけになるか書き始めた今の段階では予測不能というボリュームです。
メディアに関わり作っていくという貴重な経験、メイクセンスの挑戦。
そして日々起こるトラブル。
それらすべてがエンタメだなぁと改めて振り返りたいと思います。

一つお知らせです。
毎週火曜日の夜21時より、clubhouseなどでやっております
ミャンマー言いたい砲台ラヂオ【ヤンゴン放送局】
1.jpg

無事1周年を迎える事ができました。
今後も引き続きよろしくお願いします。
そして50回記念から放送後記をnoteに連載しております。
MC二人がそれぞれ書いているのですが、中でも相方の石川さんの記事がとても良いんです。

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放送も勿論聴いていただきたいのですが、何よりまず彼の記事を読んでいただきたいと思います。
オススメです。


それでは本題です。
2018年の1月頃、キッカケは当時弊社、メイクセンスの顧問を務めてもらっていた方からの相談でした。
「知り合いがやっているフリーペーパーが記事のネタに困っているので何か提供してもらえないか」という案件。

「面白そうなのでやります」
と二つ返事で返したのが運命の始まりでした。
この後、私たちはいつの間にかこの事業を引き継ぐことになります。
中々に大変な事でした。
苦労も沢山ありました。
しかし、それだけなら全然良かったのです。
結果も徐々に出始めていて
「苦労はしたけどあの選択は間違いじゃなかったよね」

なんて言える日が来るのだろうと頑張っていたある日
盛大な「ハシゴ外し」を喰らわされる事になります。
最初に相談を受けた時にはまさかそんな風になるとは誰も予想していませんでした。
多分「ハシゴ外し」をした人も・・・(ここ笑うところです)

myan myan(ミャンミャンと読みます)は月刊誌。
5年続いたフリーペーパーというのは立派なメディアだと思います。
正直内容が充実していたとはお世辞にも言えない内容ではありましたが、ヤンゴンの地域情報を様々な形で無料の雑誌という形で伝えていた事には大きな意義があると思います。
因みにmyan myanはヤンゴンの日系のフリーペーパー3つの内、圧倒的1位を追うような2位?3位?という立場でした。

最初お願いされたのは記事の提供。
もちろんギャラはなくボランティア。
ですが、老舗のフリーペーパーで記事を書かせてもらえるのですから、意義もあるし宣伝にもなるしというところで快く受けました。

月一本だと思っていたら書けるだけ欲しいとのこと。
結果ウチが書けそうなネタを探し毎月のノルマとして3本程書く事になります。
いきなり中々のボリュームのノルマでした。
当時記事は10本も無かったのでいきなりかなりの割合をウチが担当する事になるのだなと思いました。

今考えればこの時におかしいと気付くべきだったのかもしれません。
ですが、「おかしいならおかしいで面白い」という持ち前のポジティブな思考が裏目に出たのと、頼られたらとことん応えたくなってしまう病気が発病したのかもしれません。
とにかくチャレンジが大好物だった私は飛びつくように新しい事業について頭をフル回転させていました。
メディアを作るというのはそれだけ魅力的な事業なのだと思います。

改めて読者目線で見ると手の付け所しかないという状況だと感じた私は、やっぱり表紙から直すべきだなと思いました。
決して地味なのが悪いという事ではないのですが、当時、日本語版とミャンマー語版を出していたこの雑誌。
これからはやはりミャンマーの若い人に受け入れられるものになった方が良いだろうと考え、ファッション雑誌のような表紙に変えていくのが良いのではないかと提案しました(この時はまだ提案するという立場です)

当時は俳優養成所をやっていたり、芸能事務所的な動きもできていたので、新人モデルなど将来有望でありながらギャラがそこまで高くない(決してタダではありません、新人こそ仕事としてやるべきだと思ったのでウチが負担しました)人を使ったり知り合いの有名な方にお願いしたり(こちらは逆にボランティアでやってくれました)で撮影して素材を作り提供しました。
しかし、それだけでは出来上がりはまだ微妙だったりします。
せっかく良い素材をお渡ししても思うような成果が出ずモヤモヤしていました。
これは雑誌編集スタッフの問題なのだろうか?

ここでも立ちはだかるミャンマークオリティの壁。
しかし、出来上がりが微妙だったのは編集スタッフの技術の問題だけではありませんでした。
何故なら完全に事業を引き継いだ後、全く同じ編集スタッフ達とした結果が今回の記事のトップにしてある表紙だからです。

課題は多い(本当に)ながらも一つ一つ悪い原因を潰しながら確実にヤンゴンでの認知度を上げ、少しずつ話題を得ていっていた感覚がありました。
というところで続きは次回にしたいと思います。
そして次回は中編です。
間違いなく前後編では終わらない事だけは確定しました。

どうぞお付き合いください。
それではまた。

 

Profile

著者プロフィール
新町智哉

映像プロデューサー。2014年からミャンマー最大都市ヤンゴンに在住。MAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. GM。日緬製作スタッフによる短編コメディ「一杯のモヒンガー」でミャンマーワッタン映画祭のノミネートを皮切りに世界各国の映画祭で受賞。起業家、歌手、俳優としてもミャンマーで活動する。

Twitter:@tomoyangon
Instagram:tomoyangon
note:https://note.com/tomoyaan

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