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匿名|ミャンマー

ミャンマーインセイン収容所より久保田徹氏解放について

©Toru Kubota

11月17日
電撃的にミャンマー当局=軍から恩赦という形で6000人が収容所から釈放されるという発表があり、その中には7月末に逮捕拘束された久保田徹氏の名前もあった。
軍によりメディアとしての権限を掌握されている国営メディアの放送では釈放前に謎の講釈をひとところに集められ聞かされている人々の映像があり、その中には久保田氏を始め様々なキーパーソンも映されていたようだ。
ありもしない正当性をアピールするようなその様に吐き気をもよおすような思いで映像を観ていた。

先に断っておく
分類するなら私は久保田氏を擁護する考えの人間である。
「擁護」と表現するとどういう印象を持たれるかわからないが、そもそも彼を擁護しなければ彼の立場が必要以上に非難されてしまうかもしれないという現状に怒りを禁じ得ない。

彼も一人の人間だ、しかもまだまだ若い。
それだからと言って全てを許してあげて欲しいなどと言っているのではない。
間違いはある、今回の事も反省する点は多々あるのだろう。
それは本人がすることで、それで充分だ。
今後の発言や行動を見て改めて評価すれば良いと私は思う。

随分と上から非難している人物が多い。
その人物がやってきたこれまでの失敗と何がどう違うのか?
恐らくそういった人物の失敗など誰の気にも留める事は無く、彼のものは功罪合わせて大きく話題になったというところが気に食わないのだろうか?

私にだって若気の至りと開き直るつもりはないが恥ずかしい話はいくらだってある。
どんな非難もするなという訳ではない。
表現の自由の範囲でいくらでもすれば良いだろう。
表現の自由がキチンと守られている日本人としていくらでもすれば良い。
ただ、社会人として、同じ日本人として、そもそも一人の人間として。
相手に対する最低限の敬意は持つべきだと思う。
それすらない輩がこんなにもいる事で、日本とミャンマーの関係が悪化していってしまうのではないかと危惧している。

今、久保田氏の心中は察する以上の事はできない。
もしかすると自身が起こした行動全てを後悔しているかもしれない。
その他諸々の事はわかりかねる、とにかく他人がとやかく言う事ではないと考える。
改めて彼の口から語られると言うのだからそれを待てば良い。

私は、あまりにも偏った考え、常識、そして冷静な状況分析もできていない者が声高に批判する姿に憤りを感じているところである。
随分と教養の無い方々が下品な物言いをしているなと思ってみている。
このように日本人が同じ日本人を叩く様はミャンマーの人々からそして世界の人々からどう見えるのだろう?

その下品な姿勢を出来るだけ冷静に正していきたいと考えているが、結果としてそれが彼を擁護し、こちらが偏った言説を言っているかのようになってしまうのかと考えると憂鬱になる。
私が言わんとしている事は客観的にみれば当たり前の事で、どこがおかしいかは一目瞭然だと考えている。

どうか冷静に今のミャンマー、それをとりまく日本の状況を一緒に考えて欲しいと願う。
ここまで言って改めてこれを読んでいる皆さんに伝えておきたい。
私は久保田徹氏を擁護する人間である。
ヒューマニストを気取るきも、リアリストを名乗る気もない。
ただのミャンマーを愛する一個人としての発言だという事をくれぐれも理解していただき、これ以降の言説を読んでいただければと思っている。

随分と前置きが長くなったようでここから持論を展開というような流れではあるのだが、実際今日これを私が書いている時点ではここから先を伝えるのは難しいように思っている。
久保田氏からの改めての会見もまだなのであまり彼の想いなどを推察して書きすぎるのも蛇足になる可能性がある。

彼の発信を持って私なりの総括を私も日を改めた形で行いたいと思うが、大事なことだけ先に伝えておきたい。
それは、事が起こる「前提条件」を見誤るなという事である。
日本で起こった事では無いというのは皆理解できていると思う。
ただ、その時のルール、常識、権利、責任。

それぞれの意味を取り違えていないだろうか?
「日本ではないのだからその国のルールに従うべきだ」
というのは一見正論に見えるが実は物凄く浅はかな考え方だと思う。
そこまで言うのなら、そのルールは誰が作り、どのように運用されているか?
今回のミャンマーの件でキチンと考えた上での発言なのだろうか?
それまでのミャンマーのルールから昨年2月1日に捻じ曲げられたのを理解しているだろうか?

それでもそれがこのミャンマーという国の守るべきルールだというのならそれは私たち日本人の価値観と合うものなのか?
この辺りをもう少し深く考察した後に改めて私の方からも発信したいと考えている。

最後に今回の久保田氏解放までに至る経緯の中で、その功罪が様々語られると予想されるので私からは「功」の部分について触れたい。
ミャンマー在住日本人の危険度が今回の事でどれくらい上がったのか?
これからミャンマーに来る日本人にどれくらいの制限がかけられ活動がしにくくなるのか?
それは私にはわからない。

しかし、その日本人の数の比ではない沢山のミャンマー人から久保田徹という日本人は陽に影に称えられている。
ミャンマーに直接関わる日本人がいかに少ないか。
それに対し、日本に関わり、そして日本を愛してくれているミャンマーの人たちがいかに多い事か。
そんな中で今回の件がどれだけ大きい「功」を産んだのか、その事が私たち日本人にとってどれだけありがたい事か。
引き続きしっかりとみていきたいと思う。

そして、陰ながら彼の活動を応援する者として、彼を取り上げるせめてもの敬意を表したい気持ちを込めてトップ画像は彼の作品「祈りの果てに」にさせていただいた。
彼が作った素晴らしい作品が苦難をきっかけにより広がっていくことを願っている。

2018

祈りの果てに
『祈りの果てに』(2018) 30分
撮影・編集・監督: 久保田徹
出演: アウンティン(水野保世)
バングラデシュ、日本

バングラデシュのロヒンギャ難民キャンプで暮らす子どもたちの表情に、時折り惨劇の記憶が影を落とす。
群馬県で日本人として暮らしているアウンティンは、26年前に難民として逃れたロヒンギャの一人だ。2018年1月、彼はバングラの難民キャンプを訪れ、家族を殺された子どもたちに、復讐ではなく未来を良くするための勉強に励むよう学校を建設する。

©Toru Kubota

 

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