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ワールドカップ「退屈」日記

「吠えなかった犬」を探しに

2010年07月13日(火)00時12分

 どこからか聞こえてくる歌声で目を覚ます。闇を手探りして見つけた時計は、午前2時を指している。歌声はそれほど遠くない。数十人の声に聞こえる。あるいはそれ以上か。

 もちろんまだ眠い。しかし眠れない。歌声が少しずつ大きくなってくるだけでなく、ニワトリが朝の訪れを知らせはじめている。時計の針が4時半を指す。5時には起きるつもりだったので、着替えることにする。

 5時すぎ、スティーブンが僕の部屋をノックする。予定どおりの時間。彼はまだ若いのだが、ここジョセファ村の「ビッグマン」だ。

 ビッグマンというのはチーフ(村長)の下にあるポストだそうだから、助役というところだろう。しかしスティーブンの話を聞いていると、村人たちのよろず相談所のような役割のようだ。土地をめぐる紛争があれば西へ走り、職探しの書類が必要な人がいれば東へ走り、ドメスティックバイオレンスがあれば北へ走る。

 身長が195センチほどあって、いかついスティーブンを前にすると、助役というよりは「若頭」と呼びたくなる。ともかく若頭は、朝の5時すぎに僕を起こしに来てくれる。

 「ヘイ、マン(Hey, man)」と、スティーブンは口を開く。「よく眠れたか」。実は2時に起きた、歌声が聞こえたものだから、と僕は答える。「そうか」と、スティーブンは言う。「それは教会のミーティングだ。今も続いていて、俺はちょっと抜けてきた。オールナイトで歌ったり語り合ったりするミーティングをたまに開く。日曜の午後まで続く」

 「ヘイ、マン」と、またスティーブンは言う。「いま必要なものを言え。俺がすべて準備する」。僕は熱いお湯と熱いお茶をお願いする。「それで全部か」と彼は念を押す。全部ですと僕は言う。

 ジョセファ村は南アフリカの北東部に位置するリンポポ州にある。ここにやって来たのは、クルーガー国立公園が近いためだ。動物ウォッチングのサファリツアーで知られる場所だが、公園内にあるプライベートロッジはべらぼうに豪勢で、べらぼうに高い。そんなところに宿泊してまで動物を見たいわけではないので、クルーガーの西側にあるゲートまで車で10分ほどのジョセファ村にお世話になった。

 ジョセファ村には、ヨハネスブルクやケープタウンやダーバンとは似ても似つかない風景がある。僕が2晩泊めてもらったのは、2枚目の写真にある円形の草葺き屋根の家だ。

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 スティーブンがお湯の入ったバケツを持ってきて、部屋にあるたらいに注ぐ。僕はそれを使って顔を洗う。この村は電気だけは通っているが、湯沸かし器のような設備がないことは明らかだ。おそらく浴槽のない家がほとんどだろう。

 「教会では、きみの旅の安全も祈った」と、スティーブンは言う。「大丈夫だ。すべてはジーザスがちゃんとやってくれる」。ありがとうと僕は言う。もう少しゆっくりしたかったですね、とも言う。本当は早くヨハネスブルクに戻って、シャワーを浴びたい気持ちもあったのだが。

 「ヘイ、マン。こういうことじゃないのか」と、スティーブンは言う。「きみはいつでもここに戻ってこられる。またこの家に泊まればいい。ノープロブレムだ。いつでも来い」。ありがとうと、僕はまた言う。スティーブンは言う。

 「で、いつだ。いつ戻ってくる?」

 ワールドカップ決勝の朝はそんなふうに始まった。

***


 6時になり、ダニエルが車でやって来る。地元の高校の副校長をしている彼が、40キロほど離れたマルムーレの町まで送ってくれる。マルムーレからバスに乗り、ヨハネスブルクまで行く。

 切符を買って、あらかた席が埋まっているバスに乗り込む。バスの乗客は黒人ばかりだから、東洋人は目立つ。乗車口から通路を進む間に人々の視線を浴びつづけるのにも、かなり慣れた。ここが空いているから座ったらいいと、誰かが声をかけてくれる。

 バスが出る。隣に女の子の2人組がいて、「どこから来たの」と声をかけてくる。日本と僕は答える。2人はヨハネスブルクにあるヴィッツ大学の学生だという。英語が上手だ。英語は南アフリカの公用語だが、その運用能力は人によって大きく違う。環境と教育程度によるようだ。ジョセファのような村には、英語を話せる人は少ない。

 「いつから南アフリカにいるの?」と、女の子の1人が言う。1カ月と僕は言う。「1人で?」。1人で。「家族は?」。日本に。「1カ月も家(ホーム)を離れているの?」。そう、1カ月も。「この人はいったい何を考えているのかしら」という目で、彼女は僕を見る。

 こちらの人には、けっこうこういう反応をされてきた。1カ月も「ホーム」を離れるというのは、南アフリカの人たちにとっては非常識なことであるらしい。でも仕方ないじゃないか、この1カ月はワールドカップだったのだから。

 バスはようやくヨハネスブルクに着く。午前7時にマルムーレを出て、今は午後3時半。8時間半かかった。

 到着したパーク駅にはブブゼラが鳴り響いている。スペインの国旗を身にまとったファンと、オランダのオレンジ色の山高帽をかぶったファンが、決勝の行われるサッカーシティーへ向かう電車に乗り込む。僕は疲れているが、彼らは元気だ。自分の国がワールドカップの決勝を戦うというのは、どんな気持ちなのだろう。

***


 決勝はソウェトのファン・フェスト(パブリックビューイング)で見た。会場はエルカ・スタジアムというところ。スタジアムといってもスタンドがあるわけではなく、公園の大きな広場という感じだ。

 南アフリカに来た最初の日にもファン・フェストに行った。ヨハネスブルクのサントンにある会場で、南アフリカ-メキシコの開幕戦だった。南アフリカ代表の黄色いシャツを着た数万の人が集まっていた。

 今夜もあのときの盛り上がりを期待していたのだが、そうはならなかった。夜ということもあって、それほどの人出はない。何しろ寒い。日中は暖かいヨハネスブルクだが、日が落ちると急速に冷える。それでも5000人ほどは集まっていただろう。

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 ソウェトの人たちは明らかにスペインを応援していた。日本がオランダと対戦したとき、地元ファンの大半は旧宗主国のオランダに肩入れしていたのに、いったいどうしたというのだろう。スペインサッカーの魅力が、古くからあるオランダへの親近感にもまさったということか。

 延長後半にアンドレス・イニエスタのゴールが決まり、スペインがリードすると、会場の前のほうにいる誰かが花火を上げはじめた。スクリーンの高さまで上がるのが精一杯のかぼそい花火。この寒さの中では寂しいだけだが、それは試合終了まで続けられた。スペインが優勝を決めると、人々は歓声をあげ、ブブゼラを鳴らした。

***


 最終回だから、連載の最初に書いたことに立ち戻る必要があるだろう。このブログの初回に、大会前の日本を覆っていた2つの空気について書いた。1つは「南アフリカは危ない」、もう1つは「日本代表はだめだ」。ふたを開けてみたら、どちらもはずれた。

 まず「南アフリカは危ない」。大会期間中の深刻な犯罪は、報道されているかぎりでは、ほんの数えるほどにとどまった。このブログを読んでくれている方はおわかりのように、僕自身、危ない目にはただの一度も遭遇していない。それどころか、あまりにフレンドリーに接してもらって驚くことのほうが多かった。大会前に主にメディアによって描かれていた「強盗だらけの国」というイメージは、現実とは遠かった。

 「日本代表はだめだ」も似たようなものだ。もうすっかり忘れられているかもしれないが、大会直前には、日本代表が0勝3敗で帰ってきても誰も驚かないような雰囲気があった。しかし日本代表は2勝1敗でベスト16に進出し、未明の試合中継は40%を超える視聴率を記録した。

 6月初めまでの日本では、「吠えた犬」のニュースばかりが伝えられていたのだ。メディアは「犬は吠える、困ったものだ」という問題設定をする。そうなったが最後、犬が吠えたことしか伝えられなくなる。「ほら、南アフリカはこんなに危ない」「ほら、日本代表はこんなに弱い」と。実は「吠えなかった犬」はたくさんいるのだが、そちらは見向きもされない。

 もっとも「日本代表はだめだ」のほうは、大会直前に布陣を変えたことが結果的には当たったともいえるから、メディアが誤ったネガティブな情報を伝えていたとばかりは言いきれない。いま気になっているのは、代表がラウンド16で敗れてからのメディアでの扱われ方だ。南アフリカからウェブ上の新聞記事を読むかぎりでは、ベスト16にまで進めた原動力は「チームワーク」であり、しかもそれは大会が進むにつれて醸成されていったという評価が主流になっている。

 どうして「チームワーク」なのだろうと思う。3-1と快勝したデンマーク戦の得点を思い起こせば、本田圭佑と遠藤保仁のフリーキックであり、本田の切り返しからの岡崎慎司のゴールだ。どれも個人技と言っていい。それなのに今回の日本代表についてチームワークのよさが強調されるのは、「日本代表」という名のサッカーチームを「チームワークのよかった集団」として理解したいという欲求がメディアと受け手の両方にあるためとしか思えない。

 その欲求の根っこにあるものは何だろう。

***


 決勝から一夜明けた月曜日のヨハネスブルクは、とても寒かった。いくら冬だといっても、これまでは東京で言えば11月くらいの陽気の日が多かったが、この日は東京の1月の感じだった。今週はこんな天気が続くらしい。今までどこか遠慮していた寒波が、大会閉幕とともに一気に押し寄せてきたかのようだ。

 寒さと曇り空のせいか、街もきのうまでとは違って見える。いたるところにあった各国の国旗も少なくなり、何より人が少ない。

 僕のゲストハウスがあるメルヴィル地区の7th Streetは、ヨハネスブルクでも指折りのおしゃれな通りだが、ここもやけに暗く見える。大会期間中はあんなににぎやかだったのに、閉幕とともに火が消えたかのようだ......と思ったら、本当に明かりが消えている。どの店もろうそくを灯している。

 聞いてみると停電だという。南アフリカの電力不足については以前の記事にも書いたが、ワールドカップ期間中は大きな事故もなく持ちこたえてきた。だが決勝が終わったとたん、明かりは消えた。

 どうやら天気も電気も、いっぱいいっぱいだったようだ。僕もそろそろ「ホーム」に戻ったほうがいいのだろう。

 とりあえず、帰ります。最後までブブゼラは吹けませんでした。


 *まだまだ南アフリカからtwitterでつぶやいています。

 *南アフリカから帰国後の7月19日(月・祝)に、「ワールドカップ『退屈』日記・総集編」と題したトークイベントを開催します。詳細はこちら

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BLOGGER'S PROFILE

森田浩之

ジャーナリスト。NHK記者、Newsweek日本版副編集長を経て、フリーランスに。早稲田大学政経学部卒、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)メディア学修士。著書に『スポーツニュースは恐い』『メディアスポーツ解体』、訳書に『「ジャパン」はなぜ負けるのか─経済学が解明するサッカーの不条理』など。