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ワールドカップ「退屈」日記

最高の試合、最低のスタジアム

2010年06月25日(金)19時19分

 いくら車を走らせても、スタジアムが見えない。日本がラウンド16進出を決めるはずの舞台が見えない。

 ヨハネスブルクを出てから、車はもう2時間半走っている。めざすはルステンブルクのスタジアム。そろそろ着いてもよさそうなものだが、目の前に見えるのはどこまでも続く一本道と、山に沈みゆく夕日だけだ。

 ルステンブルクはヨハネスブルクから北へ約150キロ。ここで日本の試合が行われると決まって、宿泊場所をインターネットで探したが、見つからなかった。ホテルの空きが見つからなかったのではなく、ホテルそのものがほとんどないのだ。

 仕方なく、ヨハネスブルクに宿をとった。ルステンブルクへ行く手段は何かしらあるだろうと思っていた。ワールドカップのプレ大会である昨年のコンフェデレーションズカップでは、試合時間に合わせてヨハネスブルクからバスが出ていたようだった。プレ大会でバスを走らせたのなら、本大会でもやるだろうと考えた。

 ところが開幕が近づいても、そのあたりの情報がいっこうに見つからない。南アフリカに来てからも、全然わからなかった。ファン向けのガイドブックには「車で簡単にアクセスできる」と書かれているだけで、他の交通の案内はまったくない。ホテルに聞いても「車で行ってはどうですか」と言われるだけだった。

 しょうがないのでハイヤーを雇った。ドライバーのジョーには、今までも何度もお世話になっている。いつも薄茶のスーツを着て、こげ茶のタイを締めている。彼の車はメルセデスだから費用はそこそこ高いのだが、これに4人で相乗りして安く上げようという算段だ。

 「ルステンブルクにはたまに行ったりします?」とジョーに聞くと、「いや、初めて」と言う。初めて? 「行く理由がないもの」。そうか。「それに僕はズールー族の出身だから。ルステンブルクは別の部族の地域で、親戚もいない」。なるほど、人にはそれぞれの事情があるものだ。

 それにしても、こんなところでワールドカップの試合をやろうだなんて、いったい誰が考えたのだろう。だが考えた人は現にいるのだ。南アフリカの都市は車で移動するしかないから、ルステンブルクを会場にすることにも抵抗がなかったのかもしれない。

 でも、ルステンブルクがひどかったのはアクセスだけではない。日が落ちて暗くなった道を走り、やっと遠くにスタジアムが見えたころ、道端に係員がたくさんいる交差点があった。車列に向かって大きな身振りで「こちらに行け」と指示している。

 ジョーは指示どおりに道を変え、しばらく車を走らせる。さっきまで遠くに見えていたスタジアムが、さらに遠くなる。ジョーはそれに気づいて、Uターンする。「まったく適当な指示をして......」と怒っている。

 ようやくスタジアム近くに車をとめられたのが、午後7時ごろ。ヨハネスブルクのホテルを出たのは3時半過ぎだから、3時間以上かかった。

 このスタジアムでは、係員の対応も他の会場にはないひどさだった。チケットをチェックする人たちはおしなべて愛想が悪く、僕のバッグを調べた警官はペンケースまで開けて中を見ていた。みんなどこか不機嫌そうで、「本当はこんなところにいたくないんだから」と思っているようだった。

 スタジアムも冴えなかった。1999年に建てられたものを増築したというのだが、はるかに古いものに見える。日本の小さな町にあるような市営球場といった雰囲気だ。スタンドへの入り口は狭く、通路も狭くて歩きにくい。照明は4基しかなく、なんだか暗い気がする。2つあるスクリーンは小さすぎて、文字が読み取れない。

 キックオフが迫っても気分が高揚してこない。それどころか、嫌な感じで盛り下がってくる。これまでワールドカップの試合を見たなかで最低のスタジアムは、2002年大会の宮城スタジアムだと思っていた。でも、宮城のみなさんは安心してほしい。ルステンブルクは確実に宮城以下だ。

 こんなスタジアムで戦うことになって、日本の選手も同じように気分を盛り下げていないだろうかと、僕は本気で心配した。そんなことはまったくなかった。それどころか誰もが知るように、試合は日本の完勝だった。

 日本の完勝であることは、デンマークのファンも認めていた。試合が終わってジョーの待つ車に戻る途中、僕たちは3組のデンマークファンから「おめでとう」と声をかけられた。そのうちの1人はすらりと背の高いすてきな女の子で、「unbelievable goals! (信じられないようなゴールばっかり!)」と言ってくれた。それはそうだ、3点も取るなんて僕たちにも信じられない。デンマーク人って、けっこういい人たちみたいだ。

 観客数が約2万8000人にとどまったスタンドには、地元のファンがずいぶん来ていた。日本がチャンスを迎えたときにブブゼラを吹き鳴らす地元ファンがいたし、試合後の帰り道では「ニッポン!」と叫んでいる人もいた。

 「ニッポン!」のコールの後、地元の人たちはなぜか「オシー!」と叫んでいた。周りの日本人がたびたび「惜しい!」と叫んでいたので、覚えたのだろう。僕は南アフリカに来てから何人もの人に「『ワカリマシタ』ってどういう意味?」と聞かれた。日本の何かの映画によく出てきたので、みんな覚えているらしいのだが、この大会でまた1つ妙な日本語が広まりそうだ。

 スタジアムからの帰り道に、ジョーは「今度は別の道を通って、早く着いてやる」と言っていた。何かが彼のプロ意識に火をつけたらしい。しかし深夜の暗闇の中で道に迷ったこともあって、ヨハネスブルクのホテルまで2時間半かかった。暗闇と言っても日本のみなさんには伝わらないような気がするので、動画を載せます。

 この長時間の単調なドライブに耐えられたのは、とにもかくにも、日本が勝ったからだ。もし負けていたら、帰り道の2時間半はどんな気分になっただろう。本当の話、想像するだけで恐ろしい。

 パラグアイ戦へも、ジョーの運転でヨハネスブルクから行く。多くの人が思っているように、次もいい試合になりそうな予感がする。

 根拠はあまりない。でも、今の日本代表には誰が見ても勢いがある。それに会場のプレトリアはルステンブルクよりずっと近いし、スタジアムもカッコいい。

*原稿にする前のつぶやきも、現地からtwitterで配信しています。

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BLOGGER'S PROFILE

森田浩之

ジャーナリスト。NHK記者、Newsweek日本版副編集長を経て、フリーランスに。早稲田大学政経学部卒、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)メディア学修士。著書に『スポーツニュースは恐い』『メディアスポーツ解体』、訳書に『「ジャパン」はなぜ負けるのか─経済学が解明するサッカーの不条理』など。