コラム

オバマを支えたミシェルにアメリカ女性が惹かれる理由

2019年01月11日(金)16時15分

歴代の大統領夫人とミシェル・オバマの最大の違いは、ミシェルが奴隷を先祖に持つ黒人だという点だ。しかも、ミシェルは多くの大統領夫人のように経済的に恵まれた環境では育っていない。現在は犯罪が多いことで知られるシカゴのサウスサイド地区で、水道局で働く父と専業主婦の母に育てられた。

この回想録の前半で、ミシェルは質素ながらも努力家で愛情たっぷりの両親、ピアノを教えてくれた厳しい大叔母、カリスマ性がある兄を通じて、家族や隣人たちとの絆を大切にしていた当時のサウスサイドのコミュニティの様子も紹介している。

周囲に模範となる高学歴の成功者がいたわけではないが、ミシェルは、類まれなる向上心と努力、そしてお手本となった兄に続くかたちでアメリカで最難関として知られる「アイビーリーグ」のひとつであるプリンストン大学に入学した。そして、卒業後にはハーバード大学のロースクール(法曹養成の専門大学院)で学び、シカゴで名前が知られた法律事務所に勤務した。ミシェルがバラクに出会ったのはこの法律事務所だった。

ここまでのミシェルの話は、「すごい達成だ」と感心させるが、正直いって退屈なところがある。これまで知っている努力家のミシェルそのものであり、何も驚きがないからだ。回想録がぐっと面白くなるのは、ミシェルがバラクに出会ってからだ。

彼らが出会ったとき、バラクはまだハーバード大学ロースクールの学生で、ミシェルは法律事務所での彼の指導係のような立場だった。バラクは、この頃からカリスマ性あるスーパースターだったようだ。最初はデートを断り続けたミシェルだが、バラクに根負けした形で付き合い始め、ついに結婚することになる。だが、プロポーズのときですら、バラクは自分のペースを崩さない。働く女性としてそれまで綿密に人生の計画を立てて着実に実行に移してきたミシェルにとって、バラクはそれを乱す不確定要素のようなものだった。

バラクは最初から富にはまったく興味がなく、コミュニティの立て直しや貧困層の救済など社会的にインパクトがあることに駆り立てられていた。経済的に独立し、働く女性として大きな達成をすることを夢見ていたミシェルにとって、バラクと一緒になることは、相当大きな決意だったに違いない。なにせ、バラクはお金儲けには興味ないが、自分がやりたいことに100%の時間と労力を費やすのだ。そういう人と結婚して子どもも育てるためには、妻のミシェルが経済面と家事育児で大部分の責任を負わねばならない。この本で明かされている葛藤はたぶん一部でしかないが、それだけでもミシェルが相当悩んだことが想像ができる。

40歳のミシェルが、シカゴ大学メディカルセンター病院のエグゼクティブ・ディレクターという重職をこなしながら、昼食の休みの間に5歳の娘が土曜日に招かれている誕生パーティーのプレゼントを買い、見当たらなくなった靴下の代用を買い、娘たちが学校に持っていくランチ用のジュースやアップルソースを買い、その合間にお昼ごはんのテイクアウトを車の中で食べる。そうしながら、「私はご飯を食べている。(家族は)まだみんな生きてる。見て、この管理の腕前を!」と小さな達成を心中で自画自賛する描写は、同じような体験をした母親にとって拍手したくなるほど見事な表現だ。

また、仕事優先のバラクのために夕食を待っている家族が疲れ果ててしまうところなどにも、男性パートナーと同様の学歴や能力がありながらもサポート役にまわる女性の苦悩が感じられる。葛藤しながらも、ミシェルは社会を変える情熱を抱く夫を愛するがゆえに自分のニーズを後回しにするのだ。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

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