最新記事
韓国社会

李在明は「ジェンダーの戦場」を生き抜けるか?...勝利の陰に潜む「韓国社会の深すぎる分断」

Ignoring Gender Is Risky

2025年6月10日(火)17時25分
ミン・ガオ(スウェーデン・ルンド大学東アジア研究所研究員)、ジョアンナ・エルフビングファン(豪カーティン大学准教授)
李在明大統領

選挙戦中はジェンダーへの言及を避けた李在明だが、若い世代の男女の深刻な対立にどう対処するのか。分断の克服への本気度が試される JEON HEON-KYUNーPOOLーREUTERS

<家父長制からの解放を求める女性たちと、フェミニズムを憎む若い男性たちの戦いが社会を引き裂く...。新大統領を悩ます「ジェンダー戦争」について>

6月3日に行われた韓国の大統領選ではリベラル派の李在明(イ・ジェミョン)が保守派の金文洙(キム・ムンス)に大差をつけて勝ったが、勝者を待ち受ける状況は複雑だ。

韓国社会は保守とリベラルの対立に加え、ジェンダー対立に引き裂かれている。特に若い世代の間ではフェミニズムと反フェミニズムの対立が激化し、ヘイト感情が渦巻いている。

選挙戦中はジェンダーへの言及を控えてきた李だが、今後はこの問題を避けて通るわけにはいかないだろう。

【動画】李在明大統領とは? を見る


今回の大統領選は、昨年12月に非常戒厳を宣布して韓国社会を大混乱に陥れ、罷免された尹錫悦(ユン・ソンニョル)前大統領の後任を決める選挙だった。有権者の怒りを追い風に与党候補の金を下した李は、保守とリベラルの分断を克服し、韓国政治を立て直すと誓っている。

その一方で、前回の大統領選で吹き荒れたジェンダー対立は、今回の選挙ではあからさまには利用されなかったが深刻化の一途をたどっている。そして目立たない形で、しかし強力に選挙戦略や投票行動、国民的な議論に影響を及ぼしている。

問題は、誰にも平等に与えられるはずの機会を、韓国の若い男性から奪ったのは果たして誰なのか、だ。

3年前の大統領選では、わずか25万票差で尹が李を下した。韓国史上最も僅差の際どい勝利を可能にしたのは「ジェンダー戦争の典型的な政治利用」だったと、豪シドニー工科大学の研究者キュンジャ・ジャンは指摘する。

男性有権者に「今や差別の犠牲者は女性たちではなく、自分たちだ」と思わせること。尹の選挙戦略ではそんな作戦が重視された。おかげで尹は20代の男性の59%、30代の男性の53%の支持を獲得した。一方、20代の女性で尹を支持した人は34%にすぎなかった。

今回の大統領選では、ジェンダーはあらゆる面に影響を与えつつ、表向きは全く問題にされなかった。職場での構造的な性差別や家庭内暴力、ネット上でのセクハラ問題を取り上げ、有効な対策を掲げる候補者は1人もいなかった。

政治家が憎悪をあおる

尹の戒厳令宣布後、民主主義を守るために通りを埋め尽くした市民の多くは若い女性だった。にもかかわらず今回の大統領選には女性候補は1人も出馬しなかった。これは韓国の大統領選では、この20年近くで初めての事態だ。

幅広い支持をつかもうと国民融和を打ち出した李は、ジェンダーへの言及を慎重に避けた。女性問題で何か訴えたいことはないかと記者団に聞かれると、「なぜあなた方は男性と女性を分けたがるのだ。どちらも同じ韓国人ではないか」と答えたものだ。

これは包摂的なメッセージのようだが、より大きな公共善のためと称してジェンダーへの言及を避けているだけで、李の選挙戦略にほかならない。それにより韓国社会を引き裂く深刻な亀裂は「ないもの」とされ、もっぱらきれいごとの国民統合が語られる。

一方、右派の改革新党から出馬した李俊鍚(イ・ジュンソク)は3年前に尹を勝利に導いた作戦にまたもや頼ろうとした。男女の分断をあおり、若い男性の支持をつかもうとしたのだ。

尹が前回の選挙で掲げ、その後に世論の風向きを見て引っ込めた女性家族省の廃止案を再び持ち出したのもその作戦の一環だ。そればかりか李俊鍚はテレビ討論会で「女性器に箸を刺したいと言ったら、女性蔑視になるのか」と、対立候補に問いただした。

質問の意図が分からないと言われると、李在明の息子が過去にオンライン掲示板に書き込んだとされるわいせつ表現を例に出し、あなた方の考えを聞いたまでだ、と答えた。

男性受けを狙いつつ、李在明をおとしめようとしたのだろうが、李俊鍚のこの質問には対立候補ばかりか韓国中がドン引きし、彼は得票率わずか8.3%と惨敗を喫した。

それでも今回の選挙で投票した20代の男性の37%が李俊鍚を支持。一方、同世代の女性の58%が李在明を支持した。

家父長制社会で長く抑圧されてきた女性たちは今、自分たちの権利だけでなく、韓国の民主主義を守るために声を上げている。

だがポピュリストの政治家は、一向に上がらない賃金や就職戦線での熾烈な競争に苦しむ若い男性たちの不満に付け込み、女性優遇政策のせいで男性たちの機会が奪われているのだと吹き込んで、対立をあおっている。

若年層=「N放世代」に

結果、多くの若い韓国人男性がフェミニズムを男女平等を求める運動ではなく、自分たちを苦しめる抑圧勢力の策謀と見なすようになった。実際には彼らを苦しめているのは所得と構造的な機会の格差であり、男性も女性もその犠牲になっているのだが......。

キュンジャ・ジャンは昨年発表した論文でこう述べている。「(韓国人男性は)新自由主義が吹き荒れる社会で苦しみ、スケープゴートを探すうちに女性蔑視に不満のはけ口を見いだした......彼らは新自由主義に向けるべき怒りを女性に向けているのだ」

今の韓国では名門大学を出てもなかなか就職できない。大学教育を受けた若者の割合はOECD(経済協力開発機構)加盟国中で最多を誇るのに、若年層の就職率は加盟国の平均より低いという皮肉な現実がある。

そのため今の韓国の若年層は「N放世代」と呼ばれている。結婚もキャリアも将来の夢を「何もかも諦めた世代」という意味だ。

こうした状況を変える方策の1つは、女性の政界進出を促すクォータ制の導入だろう。政界に風穴が開けば、差別や格差をなくして、全ての人に平等に機会を提供する政策の実現に道が開かれる。

李在明の勝利で韓国社会を揺るがした激震はひとまず収まったが、断層線は残っている。男女を問わず若年層が無視され差別されていると感じている限り、ポピュリズム勢力はその不満に付け込み対立と分断をあおるだろう。

ジェンダーは今や政治問題だ。それを無視することは、それをつぶしにかかることと同じくらい危うさを伴う。

The Conversation

Ming Gao, Research Scholar of East Asia Studies, Lund University and Joanna Elfving-Hwang, Associate Professor (Korean Society and Culture), Director of Korea Research & Engagement Centre, Curtin University

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.


対談
為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 セカンドキャリアの前に「考えるべき」こととは?
あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、ウクライナにパトリオット供与表明 対ロ

ワールド

ゼレンスキー氏、スビリデンコ第1副首相を新首相に指

ワールド

ロシアに50日以内に制裁関税、停戦で合意しなければ

ワールド

印中外相が北京で会談、関係改善や貿易障壁削減巡り協
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:AIの6原則
特集:AIの6原則
2025年7月22日号(7/15発売)

加速度的に普及する人工知能に見えた「限界」。仕事・学習で最適化する6つのルールとは?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「史上最も高価な昼寝」ウィンブルドン屈指の熱戦中にまさかの居眠り...その姿がばっちり撮られた大物セレブとは?
  • 2
    真っ赤に染まった夜空...ロシア軍の「ドローン700機」に襲撃されたキーウ、大爆発の瞬間を捉えた「衝撃映像」
  • 3
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別「年収ランキング」を発表
  • 4
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 5
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首…
  • 6
    【クイズ】次のうち、生物学的に「本当に存在する」…
  • 7
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 8
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップ…
  • 9
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 10
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長…
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首」に予想外のものが...救出劇が話題
  • 4
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 5
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 6
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 7
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 8
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 9
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 10
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中