最新記事

アメリカ社会

【米最高裁】そもそも中絶禁止はなぜ許されないのか 

What’s at stake as Supreme Court appears intent on overturning Roe v. Wade – 3 essential reads

2022年5月12日(木)14時47分
マット・ウィリアムズ

中絶の権利を否定する最高裁の文書流出を受け、全米では激しい抗議が巻き起こった(5月3日、アリゾナ州ツーソン) Rebecca Noble-REUTERS

<中絶の権利が否定されると、マイノリティーや貧困層の教育や雇用の機会がますます阻害され、命にも関わる>

米連邦最高裁が、1973年に女性が人工妊娠中絶をする権利を憲法で保障した「ロー対ウエード」裁判を覆そうとしていることが明らかになってアメリカを二分する騒ぎになっている。最高裁のサミュエル・アリート判事が書いた意見書の草案が流出して明らかになった。

米政治ニュースサイトのポリティコが入手し、報道したこの草案が本物であることを最高裁は認めた。だが「裁判所による決定や、裁判官の最終的な立場を示すものではない」とする。

裁判所の最終意見は年内に出ると見られている。流出した文書からすれば、最高裁で多数派を占める保守派の判事らは、女性が中絶をする憲法上の権利を否定し、各州が独自の判断で中絶を規制することを可能にする道を開こうとしているようだ。

中絶の権利に関する長年の法廷闘争と国民的議論を大きく揺り動かす展開だが、まったく予想外というわけではない。近年、中絶の権利を擁護する人々は、ロー対ウエード判決を脅かす動きに警鐘を鳴らしてきた。この歴史的な判決が覆された場合、誰がどういう不利益をこうむるのか。アメリカの女性に何が起こるのか。法律や医学の専門家、社会学者らの解説を紹介しよう。

女性たちの人生を変えた判決

ロー対ウエード判決で人工妊娠中絶の権利が合憲とされたのは約50年前のことだが、それ以来多くのことが変化した。

この画期的な判決以前の女性の人生はどうだったのか。フロリダ大学の社会学者コンスタンス・シーハンによれば、1970年当時、「アメリカの女性の平均初婚年齢は21歳弱。18歳から24歳の高卒女性のうち大学に進学する女性は25%、4年制大学卒業者は成人女性の約8%だった」。

だが「ロー対ウエード判決からおよそ2世代を経た今、女性は結婚を先延ばしにして、初婚の平均年齢は27歳くらいになっている。25歳以上の女性の17%は一度も結婚したことがない。12歳~19歳では25%が生涯未婚に終わるかもしれないという推計もある」と彼女は指摘する。

こうした女性の生活の変化は、どの程度、ロー対ウエード判決の影響によるものなのか。判決が覆された場合、流れは逆転するのだろうか。このような問いに答えるのは難しい。

だが望まない妊娠を続けることは、女性の教育に悪影響を及ぼし、ひいてはキャリアや収入の機会に影響を与えることが証明されている、とシーハンは述べる。「10代で子育てを始めた家庭の3分の2は貧しく、4家族に1家族は子供の誕生から3年以内に生活保護に頼っている。多くの子供が、この貧困の連鎖から抜け出すことができない。10代の母親から生まれた子供で高卒の資格を得ることができるのは約3分の2だが、親が20歳以降に生まれた子供は81%が高卒資格を得ている」

中絶を望む女性にとって、選択肢は手術だけではない。「今では医療処置以外の避妊薬や中絶薬が幅広く利用できるようになっているし、米経済で女性の労働力に対する需要が高まっていることもあって、女性の地位が1973年以前の状態に戻ることはないように思われる。だがアメリカ人は、ロー対ウエード判決が女性の生活を向上させるために果たした役割を忘れてはならない」と、シーハンは主張する。

Read more: How Roe v. Wade changed the lives of American women

最も影響を受けるのは誰か?

「この問題では、最も重視すべき人々の意見が無視されている。それは中絶を選択した女性たちだ」と、言うのはマサチューセッツ大学チャン医科大学のルー・D・アイルランド医師。アメリカ人女性の4人に1人が、人生のある時点で中絶手術を受けているというのに、中絶は恥ずべきことという認識があるため、中絶をした女性たちの視点はほとんど取り上げられない、と言う。しかし産婦人科医のアイルランドは、中絶を選択した女性たちの話を日常的に聞いている。

妊娠中絶は多くの人にとって性と生殖に関する健康問題のひとつであり、生い立ちに関わりなくあらゆる女性が妊娠を中断することを選択する。だが意図しない妊娠は特定のグループ、すなわち貧しい女性、有色人種の女性、正規の教育を受けていない女性により多く見られるとアイルランドは言う。

「貧困層の女性は、中・高所得層の女性の5倍も意図しない妊娠をする確率が高い。黒人女性は白人女性に比べ、意図しない妊娠をする可能性が2倍高い」

女性が妊娠中絶を選択する理由はさまざまだ。最も一般的な理由はタイミングが悪いということで、妊娠出産が教育やキャリア、家族の介護の妨げになる、というケースだ。次に多いのは経済的な理由で、育児のコストを支払う余裕がないから中絶せざるをえない。中絶を規制すれば、中絶できない女性は「貧困にあえぐ人生を送るか、生活保護に頼る可能性が高く、定職につく可能性が低い」ことが研究で明らかになっている、とアイルランドは指摘する。

Read more: Who are the 1 in 4 American women who choose abortion?

死亡率が上がるリスク

経済的な問題は、安全で合法的な妊娠中絶へのアクセスを制限した結果として起きる問題の一部にすぎない。もうひとつの問題として、妊娠に関連した死亡例が急増する恐れもある。コロラド大学ボールダー校の社会学者アマンダ・スティーブンソンは、アメリカ全土で人工妊娠中絶が禁止された場合に何が起きるかを調査した。

最高裁がロー対ウエード判決を覆したからといって、アメリカ全土で中絶が禁止されるわけではない。この判決が覆されれば、中絶の権利が憲法で保障されなくなるため、中絶を認めるかどうかは、各州の判断に委ねられる。つまり、州が独自に中絶を禁止することが可能になる。

とはいえ、スティーブンソンの研究は、中絶を認めない州に住む女性が、中絶を認める州に行く手段がない場合に、この判決がもたらすリスクを示している。つまり、妊娠を継続することは、中絶よりも死のリスクが高い、ということだ。

「アメリカにおいて中絶は妊婦にとって非常に安全な医療行為だ。2013年〜2017年、中絶10万件につき死亡した割合は0.44人にすぎない。一方、2019年に出産した女性では10万人あたり20.1人が死亡した」と、スティーブンソンは指摘する。彼女の推定によれば、「中絶が禁止された場合、2年目までに、妊娠に関連する年間死亡者数は21%増加するだろう。人数にすれば140人だ」

非ヒスパニック系の黒人女性ではさらに高くなるだろう。

Read more: Study shows an abortion ban may lead to a 21% increase in pregnancy-related deaths

Editor's note: This story is a roundup of articles from The Conversation's archives.

The Conversation

Matt Williams, Breaking News Editor, The Conversation

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.

202404300507issue_cover150.jpg
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2024年4月30日/5月7日号(4月23日発売)は「世界が愛した日本アニメ30」特集。ジブリのほか、『鬼滅の刃』『AKIRA』『ドラゴンボール』『千年女優』『君の名は。』……[PLUS]北米を席巻する日本マンガ

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ハマス、拠点のカタール離れると思わず=トルコ大統領

ワールド

ベーカー・ヒューズ、第1四半期利益が予想上回る 海

ビジネス

海外勢の新興国証券投資、3月は327億ドルの買い越

ビジネス

企業向けサービス価格3月は2.3%上昇、年度は消費
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 2

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の「爆弾発言」が怖すぎる

  • 3

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴らす「おばけタンパク質」の正体とは?

  • 4

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 5

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 6

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 7

    「なんという爆発...」ウクライナの大規模ドローン攻…

  • 8

    イランのイスラエル攻撃でアラブ諸国がまさかのイス…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 1

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 6

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 7

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 8

    「毛むくじゃら乳首ブラ」「縫った女性器パンツ」の…

  • 9

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 10

    ダイヤモンドバックスの試合中、自席の前を横切る子…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこと」目からうろこの健康法

  • 4

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の…

  • 5

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

  • 10

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中