最新記事

北朝鮮

外交官が見た北のリアルな日常

平壌に駐在したイギリス大使が発表した体験記はメディアが伝えられない「謎の国」の人々の生活を描き出している

2012年10月4日(木)13時14分
ブラッドリー・マーティン(ジャーナリスト)

準エリートの本音は 平壌市民の願望は急速に変わりつつある(故・金日成主席の壁画の前を歩く子供) Damir Sagolj-Reuters

 それは、「足で取材する」をモットーとするジャーナリストが夢見る仕事だった。

 ジョン・エバラードが派遣されたのは北朝鮮の首都・平壌。そこで暮らす間、街の中心から半径35キロ圏内なら、どこでも自由に車や徒歩で移動でき、地元住民と公的・私的に交流することもできた。言葉にも不自由はなかった。派遣元の経費負担で、事前に韓国のソウルで朝鮮語を学習していたからだ。

 そのエバラードが、出版界の極めて特殊なジャンルで、最高傑作に数えられる著作を物したのは不思議ではない。そのジャンルとは──北朝鮮の現地取材記だ。エバラードは北朝鮮市民と普通に会話をし、その生活について重要な事実を学んだ。

 例えば、エバラードが出会った平壌市民の日常生活は「家と職場にほぼ限定されていた」。欧米人にしてみれば「気が遠くなるほど退屈」だが、首都に住めない人々の生活に比べれば、これでも特権的だ。

 交通事情が不安定なため、市民はかなり時間に余裕を持って通勤する。時間どおりに着かなければこなせないほどの仕事があるからではなく、遅刻は職場の「敵を利する」からだ。


なぜ記者には書けないか

 長幼の序などを重んじる儒教的価値観も根強く残っていた。おかげで親と成人した子供の関係はぎこちないものになりがちだ。「韓国人の知り合いには、愛情に満ちた親子関係を持つ人もいる。だが北朝鮮の友人にそういう人はいなかった」と、エバラードは記している。

「知り合った女性の多くは、夫の浮気を心配していた」ともいう。一方、同様の不安を口にした男性は1人だけ。彼はなぜか米テレビドラマの「『デスパレートな妻たち』を見たことがあり、自分の妻もあの手の女性かもしれないと気をもんでいた」。

 筆者を含むメディアの人間にとっては皮肉な話だが、北朝鮮のリアルな日常を見事に描いたエバラードはジャーナリストではない。英外務省に勤務し、06年2月〜08年7月までイギリス大使として北朝鮮に駐在した(現在は国連安保理の北朝鮮制裁委員会専門家パネル委員)。現地での体験を基に、今年6月に著書『オンリー・ビューティフル・プリーズ──北朝鮮のイギリス人外交官』を発表した。

 なぜジャーナリストはこうした本を書けないのか?

 ジャーナリストが北朝鮮入国を許されるのはまれだ。例外的に認められてもツアーバスで巡るだけ。それでも北朝鮮の人々に直接取材した著作を発表した例はあるが、彼らが話を聞けるのは、北朝鮮国外にいる難民や亡命者だけだ。今年1月にはAP通信が平壌支局を正式に開設したが、大きなニュースを報じることはできていない。

 北朝鮮での現地取材という点で、エバラードに並ぶ仕事をしているのは北朝鮮や韓国の記者がほとんど。日本を拠点とする雑誌「リムジンガン」は、北朝鮮国内の記者らの取材に基づく記事を発信している。

 外国人が北朝鮮の現実を伝えたければ、外交官として行くのが一番だ。それでも行動の自由は制限されるが、エバラードは「限られた数でも北朝鮮人と話ができた」ことに満足している。

「そのうちの数人とは、友情に近いものを築いた──少なくとも、彼らが自分の生活について私と語り合えるような関係を」

 その中には、体制側に雇われて近づいた人間もいたかもしれない。現地の大使館員やガイドが、実は外国人の監視役であるケースもあるからだ。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

利上げの可能性、物価上昇継続なら「非常に高い」=日

ワールド

アングル:ホームレス化の危機にAIが救いの手、米自

ワールド

アングル:印総選挙、LGBTQ活動家は失望 同性婚

ワールド

北朝鮮、黄海でミサイル発射実験=KCNA
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:老人極貧社会 韓国
特集:老人極貧社会 韓国
2024年4月23日号(4/16発売)

地下鉄宅配に古紙回収......繁栄から取り残され、韓国のシニア層は貧困にあえいでいる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 2

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ公式」とは?...順番に当てはめるだけで論理的な文章に

  • 3

    「韓国少子化のなぜ?」失業率2.7%、ジニ係数は0.32、経済状況が悪くないのに深刻さを増す背景

  • 4

    便利なキャッシュレス社会で、忘れられていること

  • 5

    中国のロシア専門家が「それでも最後はロシアが負け…

  • 6

    止まらぬ金価格の史上最高値の裏側に「中国のドル離…

  • 7

    休日に全く食事を取らない(取れない)人が過去25年…

  • 8

    「毛むくじゃら乳首ブラ」「縫った女性器パンツ」の…

  • 9

    毎日どこで何してる? 首輪のカメラが記録した猫目…

  • 10

    中ロ「無限の協力関係」のウラで、中国の密かな侵略…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 3

    攻撃と迎撃の区別もつかない?──イランの数百の無人機やミサイルとイスラエルの「アイアンドーム」が乱れ飛んだ中東の夜間映像

  • 4

    天才・大谷翔平の足を引っ張った、ダメダメ過ぎる「無…

  • 5

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 6

    「毛むくじゃら乳首ブラ」「縫った女性器パンツ」の…

  • 7

    アインシュタインはオッペンハイマーを「愚か者」と…

  • 8

    犬に覚せい剤を打って捨てた飼い主に怒りが広がる...…

  • 9

    ハリー・ポッター原作者ローリング、「許すとは限ら…

  • 10

    価値は疑わしくコストは膨大...偉大なるリニア計画っ…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこと」目からうろこの健康法

  • 4

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の…

  • 5

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

  • 10

    浴室で虫を発見、よく見てみると...男性が思わず悲鳴…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中