コラム

大学入試「飛び級合法化・TOEFL導入」の前に必要なこと

2012年06月08日(金)11時32分

 平野文科相が会見で「2年ないし2年半で高校を卒業可能にする」というコメントをしたというニュースで初めて知ったのですが、過去10年近く日本で行われていた「高校から大学への飛び級」というのは、高卒資格を付与していなかったのです。つまり、卒業資格ということでは中卒のまま大学に入学させるという運用だったというわけです。

 そこで、高校卒業に必要な単位数などはどうなっているのかが気になって調べてみたのですが、日本の場合は高校の単位というのは「授業時間」で決まっているのです。高校の学習指導要領においては、1コマ50分の授業を35回受けると1単位になります。多くの科目では、標準単位というのがあって2から4に設定されている他、卒業に必要な単位は最低で74だそうです。

 指導要領では、一応各科目の目標には達していることが要求されていますが、その定義はされていません。つまり、日本の高卒資格を得るには35掛ける74の2590時間の授業を受けなくてはならないのです。数年前に一部の私立高校などで世界史の授業の履修漏れが指摘され、慌てた学校側が臨時に授業をして対応していましたが、あれも要するに所定の時間数だけの授業をすれば良かったのです。

 一方で、学年別の教育課程の区分というものもあります。数学Aは1年生に割り当てられているので、その単位が取れないと2年生に行けなくて留年になるとか、数学3は3年生に割り当てられているので、公立高校では2年生に教科書を使って数3の内容を教えるのは禁じられていたとか、硬直した運用があったわけです。

 ちなみに、この「学年別の区分」というのを廃止して、「単位制高等学校」にするという認定がされれば、数学が苦手で1年生のときに数学Aを落とした子供も、2年生に進学してから再度数学Aを履修できるわけです。都立高校の一部で留年を廃止するというのは、以前は定時制だけが対象であったこの制度が少し前に全日制に拡大したのを受けてのもののようです。

 とにかく、バカバカしいほどの形式主義です。結局のところ、これでは高卒という資格の中身というのは無いに等しいわけです。「中卒でも飛び級で大学に入れていた」というこれまでの運用は不自然でも何でもなく、大学側から見れば「高卒資格」などには価値を感じていなかったわけです。

 日本の教育の大きな矛盾がここにあります。つまり、高校以下の卒業証書の意味というのは、学習してある到達度に達したということよりも、形式的に在籍し、形式的に授業に出席した時間数の証明という性格が濃厚なのです。

 ということは、大学側としては要求する学力レベルに達しているかは、大学独自の入学試験で判定するしかないわけです。その大学入試に対して効果的な学習は、文部科学省所轄の高等学校では十分に指導ができず、経済産業省所管の塾や予備校がその機能を担っている、この問題の根っこもここにあると言っていいでしょう。そのために親の教育費負担が過大になり、少子化や階層固定化など、大変な問題が起きているわけです。

 とにかく「飛び級合法化」をやりたいのであれば、高校の各単位における到達度を明確にし、そこに早く達したから、そして単位を全部取ったからという基準を設けるべきです。「2年ないし2年半で卒業」ということを制度として導入するのであれば、他に方法はないと思われます。

 その際に「到達度テスト」をやって、例えば「数学3」や「物理2」の標準問題がスイスイ解ければ2年生でも1年生でも単位を与えるというのはいいとしても、これに見合う高校以下の指導体制を整えなくては「塾や予備校」あるいは「私立進学校」で勉強した子だけを優遇することになります。

 この平野文科相の「飛び級合法化」発言の直後には文科省は2017年までに実施する「大学改革プラン」をまとめ、大学入試におけるTOEFLの導入などを提言しています。私は100%正しいと思います。これも同じことです。

 大阪府で橋本知事時代に高校生のTOEFLでの点数向上に取り組んだところ、短期間では成果が出ず、結果的に帰国子女の多い学校に報奨金が行ったそうです。これではダメだと内田樹氏が批判したのは正しいのですが、それでもTOEFLを重視し、TOEFLを従来の入試英語に取って変えるというのは必要だと思います。(勿論、それだけではダメで知的な精読とスピードリーディングの能力も見ないといけませんが)ではどうしたらいいのでしょう。

 高校以下の指導法を徹底的に改革するのです。もっともっとコミュニカティブなメソッドを入れ、文法理解や和訳から入るメソッドを追放する、そしてそれに見合う教員を配置するのです。どうしても適性のない教員は試験にパスしたら国語や社会の教員に転科できるようにするなどして、英語の話せない英語教師は追放すべきです。

 先ほどの数学や物理の話も同じです。高校以下の教育をレベルアップするのであれば、教員も入れ替えるべきです。中学校の校舎で夜に塾をやるとか、高校が予備校のサテライト授業に参加する程度で「改革だ」というのはおかしいのです。塾や予備校の教師の方が指導能力があるのなら、中学や高校の教師に迎えるべきなのです。もっと言えば、ポスドクやABD(ドクター取得の必須科目と試験は終了したが論文がまだ)の人たちのメジャーなキャリアパスとして、理数科の高校教師として優秀な若者の教育にあたってもらう道を開くということが真剣に検討されるべきです。

 以前もこうした趣旨のお話をしたことがあり、その時には「実現不可能な理想論を語られるとかえって凹む」という種類の批判を受けました。現場から(恐らくそうでしょう)そうした声が上がるということは厳粛に受け止めなくてはなりません。

 ですが、本格的に飛び級を認め、TOEFLを入試に導入するのであれば、高校以下の教育を大変革しなくては全く整合性はないのです。日本の大学が「国際競争力がなくなる」と焦るのは悪いことではありません。ですが、それだけを考えていて高校以下の改革をしないと、塾・私学・海外体験という「特権」を手にできる人間だけが優遇され、それ以外の日本の若者は切り捨てられることになります。

 もしかして、文科省は公立の小中高校の現状は「ポスト産業化のグローバルな社会」に適合する人材を育てるところでは「ない」と諦めているのでしょうか? 例えば文科省の初等中等教育局は「子どもたちに自ら学び自ら考える力や豊かな心、たくましさなどの『生きる力』をはぐくむ教育を目指しています。」などという意味不明のスローガンを今でも掲げているわけで、真剣に心配になります。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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