変化するチベットと向き合う個人を鮮やかに描く:『草原の河』
この映画では、無関係に見える断片的なエピソードが結びつき、私たちに主人公たちの内面を想像させる余白を生み出していく。それはたとえば、地面に穴を掘り、そこに何かを埋めたり、隠したりするというエピソードだ。
一家がハダカ麦の種まきをしているときに、母親から植えた種が増えると聞かされたヤンチェンは、植えれば何でも増えると思い込み、クマのぬいぐるみを畑に埋める。自分のぬいぐるみを生まれてくる赤ちゃんに取られたくないからだ。それは子供の無邪気な行動に過ぎないが、父親の嘘もまた埋めることと繋がっている。
グルは祖父に渡せなかった見舞いの品を帰り道に埋めていた。そのことが後ろめたくなった彼は、もう一度、娘を連れて祖父のところに行こうとするが、掘り出した見舞いの品はすでに悪くなっていた。そこで私たちは、袋の中身を取り出してみるヤンチェンの気持ちを想像する。
成り行きで父親の嘘の共犯にされ、乳離れのために母親から突き放されるヤンチェンは、今度は父親が大切にする天珠を穴のなかに隠してしまう。父親の嘘に納得できない表情を浮かべていた彼女が、彼と同じ行動をとり、自分の嘘に苦しむのだ。
この映画では、そんな埋めたり、隠したりするエピソードが積み重なっていくことによって、生、腐敗、死、喪失といった要素が絡み合う独自の世界が切り拓かれる。そして、これから生まれてくるものに対するヤンチェンの意識が変化し、娘の嘘を知ったグルが自分を見つめ直すことになる。
言葉ではなく映像で鮮やかに表現
ソンタルジャ監督が映画作りを通して学んだ最も重要なことは、個人を重視することだったという。彼は、宗教や文化が集団を基盤とするチベットで個人を見つめる。彼の作品にはそんな視点が明確に表れている。
デビュー作の『陽に灼けた道』は、母の死に対して自責の念に駆られる若者が、ラサへの巡礼の旅に出る物語だが、伝統的な巡礼が描かれるわけではない。映画から浮かび上がるのは、ラサからの帰りに、いまだ答を見出せない若者が砂漠を彷徨う姿であり、彼はある老人と出会い、ともに旅することで立ち直っていく。
この『草原の河』でも、父親や娘は孤立する立場へと自身を追いやり、それぞれにひとりでもがきながら壁を乗り越えていく。そこには、チベットの伝統や中国の影響という要素も当然、盛り込まれているが、中心にあるのは個人であり、ソンタルジャは、変化する社会の現実と向き合う個人の声を、言葉ではなく映像で鮮やかに表現している。
《参照記事》
・An Interview with Sonthar Gyal | Trace Foundation
『草原の河』
公開:4月29日(土・祝)より岩波ホールにてロードショーほか全国順次公開
(C)GARUDA FILM
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