映画『泥の河』に隠されたテーマ 巨大な鯉は死と再生のメタファー...だけではない
ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN
<1956年、誰もが貧しかった大阪で交錯する2つの家族──小栗康平監督が作品全体で暗示するのは、少年の成長だけではない>
サンフランシスコ平和条約が発効してから4年が過ぎた1956年。朝鮮戦争の特需をきっかけに、日本は高度経済成長へと向かおうとしていた。「もはや戦後ではない」はこの年のキーワードだが、逆に言えばそう唱えなければいけないほどに、まだ誰もが貧しい時代だった。
大阪の安治川河口にあるうどん屋の一人息子である信雄は、同じ9歳の喜一に橋の上で出会う。2人の服装はいつもあかじみたランニングに半ズボン。この時代の男の子の基本的なファッションなのだろう。でも信雄には、粗末な掘っ立てではあるけれど家があって、父と母もいる。
喜一に父はいない。泥とヘドロが堆積する安治川に浮かぶ小さな木造船で、母と2歳上の姉と共に暮らしている。姉と弟は学校に行っていない。最低限の生活インフラからこぼれ落ちた存在だ。
船の中で区切られた小さな部屋に暮らす母親の笙子は、この世界の人とは思えないくらいに妖艶で美しく、喜一たちと一緒に遊んでくれてありがとうとほほ笑むが、信雄は何も答えることができない。
笙子のなりわいを察した信雄の父・晋平は、夜にその船に行ってはいけないと、息子に言う。でも晋平と妻の貞子は幼い姉と弟を家に呼び、自分たちの子供のように温かくもてなした。最初は喜んでいた姉の笑顔が、小さなワンピースを貞子から渡されかけてこわばった。施されることへの幼いいら立ちと抵抗に、晋平と貞子は気付かない。
物語は信雄の視線を軸に展開する。楽しみにしていた天神祭。手をつないで露店を見て歩く信雄と喜一は、もらった小遣いをいつの間にか落としてしまう。落ち込む信雄を船の家に誘った喜一は、びっしりと小さな蟹(かに)がはい回る竹ぼうきを泥の河から引き上げる。ランプの油を塗られて火を付けられた蟹は燃えながら逃げる。蟹は3匹。そして2つの家族もそれぞれ3人。蟹を追った信雄は船の小さな窓から、裸の男とむつみ合う笙子の姿を目撃する。男に組み伏せられながら信雄を見つめ返す笙子。
9歳の信雄は死と性に気付きかける。そして戦争で多くの人が死んで深く傷ついた日本は、すぐ隣の国で始まった戦争をきっかけに、経済成長のステップを上がり始めている。
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