コラム

北斎のような「波」が、政治的暴力を世界に告発する

2017年10月10日(火)19時23分

カタナーニは有刺鉄線で造形された竜巻をイスラエルによる政治的な暴力と意味づけることで、イスラエルの占領下のパレスチナと、難民キャンプのパレスチナという2つの問題を共に包含する捉え方を示す。風刺画を描いた経験によって政治を相対化する視点から、人々の生活に目を向けたことで、パレスチナ問題をより深いところで捉える契機ともなっている。

【参考記事】8歳少女が抗争の犠牲に... パレスチナ難民キャンプの今

パレスチナ問題への関心が薄れるなかで作品が注目される理由

このところ、カタナーニが扱うパレスチナ問題が国際政治の中で占める重要性は大きく後退している。特に中東で「アラブの春」や「シリア内戦」が世界の大ニュースとなるなかで、パレスチナ問題はニュースの焦点からは外れている。

中東和平の展望も開けず、パレスチナ内部でもアラファト自治政府大統領が死んだ後、ヨルダン川西岸を支配するPLO主流派のファタハと、ガザを支配するイスラム組織ハマスが対立し、政治が混迷の中にある。かつてパレスチナ人が命をかけ、そのために多くの命が失われた「パレスチナ解放」は、いまシャティーラ難民キャンプの人々にとっては「古き良き時代の夢」にすぎない。

このような時代にカタナーニがパレスチナ問題をテーマとして芸術活動をし、それが注目されていることに、重要な意味があると考える。

カタナーニの作品を見ながら、パレスチナ人の映画監督ハニ・アブ・アサドが頭に浮かんだ。パレスチナの政治とは距離をとりながら、映画の世界でパレスチナをテーマとして扱い、自爆作戦に向かう若者を主人公にした『パラダイス・ナウ』や、イスラエルの協力者の問題をテーマとした『オマールの壁』など意欲的な作品を発表し、国際的に注目されている(関連記事:映画『オマールの壁』が映すもの(1)パレスチナのラブストーリーは日本人の物語でもある)。

カタナーニが造形する「子供たち」も波も竜巻も、問題意識はパレスチナに発するが、難民が使う安価な建築資材のスレート板や、人々を阻む有刺鉄線は、パレスチナに限らず世界中にある。政治的な暴力を象徴する有刺鉄線でつくった大きな波や竜巻にのまれ、巻き込まれる人々は、パレスチナ人だけではなく、世界中にいる。強権や右翼、テロという政治的な暴力だけでなく、生活を破壊する貧困を生み出す経済の中にもある。

アブ・アサドが『オマールの壁』でイスラエルの協力者に仕立てられたパレスチナ人の若者を描きながら、人間の信頼や不信をテーマにしたように、カタナーニの芸術活動がフランスやドイツでも注目されるのは、政治的な暴力の中で生きる人間を問うことで、パレスチナ問題を超えた普遍性を持っているからだろう。

波の造形を「北斎のようだ」と言われてうれしいというカタナーニの言葉は、パレスチナ問題から発想したことが、パレスチナ問題を超えて、普遍的なものを志向する意識を示している。

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プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

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