コラム

イルカ漁告発映画『The Cove』と『わんぱくフリッパー』

2009年08月19日(水)18時18分

「あなたはクジラを食べる?」

 前に住んでいた家で、お隣さんのカイロプラティック師のテリさんに尋ねられたことがある。

「子どもの頃は学校の給食に出ましたけど、噛み切れなくて、あまり好きじゃなかったですね。大人になってからはほとんど食べないです。手に入る店も少ないし」

 でも、飲み屋でたまに「鯨ベーコン」や「さえずり」は食べます、と言うのはやめておいた。テリさんがクジラの写真を印刷したパンフレットを手渡したからだ。

「捕鯨だけが問題じゃないのよ。これを読んで。日本の漁船はソナーを使うでしょ。それがクジラやイルカを苦しめているのよ。あなた、ひどい騒音をキンキン聞かされる気持ちになってごらんなさい」

 テリさんはもうすぐ60歳。ニューエイジ直撃世代で、今はクジラ保護運動家だ。仲間を集めて、庭で抗議デモに使うハリボテのイルカを作ってたりする。ふだんは本当に親切でいい人だけど、ときどき「どうして日本人はクジラを食べるの?」と尋ねてきた。

 そんなに食べませんよー、ついでに言うとスシやテンプラも毎日食べませんとテリさんには何度も説明したが、わかってくれなかった。

 テリさんのような人々を集めている映画がある。『ザ・コーヴThe Cove』というドキュメンタリーだ。コーヴとは「入り江」という意味で、具体的には和歌山県にある太地町の入り江のこと。ここは世界のイルカ保護運動家の標的になっている。毎年9月、地元の漁師がイルカの群れを追い込んで殺すからだ。

 世界のイルカ保護運動家たちにとって太地Taijiはアウシュヴィッツと同じ意味を持つ。彼らは太地で激しい妨害活動を続けている。最初はイルカ網を切った。2007年には入り江に突入し、身を挺してイルカを守ろうとした。このとき参加した1人がアメリカのテレビドラマ「ヒーローズ」で人気のヘイデン・パネッティーアだったので世界的に報道された。

 それでも太地はイルカ漁を止めない。そこで運動家たちは国際世論を動かすため、イルカ殺しの現場を撮影し、それを世界的に公開しようと考えた。それが『ザ・コーヴ』という映画なのだ。

 映画の製作はOPS(海洋資源保護協会)というクジラやイルカの保護団体。監督のルイ・シホヨスはOPSの会長だ。つまりこれは公然たるプロパガンダ映画である。シホヨスは『コーヴ』を今秋開かれる東京国際映画祭に出品しようとしたが、映画祭委員会から断られた。シホヨスによると委員会は「東京国際映画祭は日本政府から助成金を受けているので、日本政府の政策に批判的な映画は上映できない」と説明したという。

 映画を観ると、たしかにIWC(国際捕鯨委員会)における日本政府の活動が辛辣に描かれている。たとえば日本がカリブ海の小国に資金援助をしてIWCに参加させ、捕鯨に賛成する票数を稼ごうとしたり。そしてIWCはイルカを保護対象に指定していない。

「日本人はクジラばかりか、あの可愛いイルカまで殺して食べているのを知っていますか? 年間2万頭以上も」

『コーヴ』のスタッフは東京や大阪で道行く日本人にそう問いかける。誰も「知らなかった」と驚く。イルカは和歌山や静岡、岩手など一部の地域では食べられているが、クジラ肉として全国のスーパーでも売られている。イルカとクジラの違いは大きさだけなので、まあウソではないが。

『コーヴ』ではまた、イルカやクジラ保護の根拠として「彼らは人間並みの知能を持つ」というお決まりの説も語られる。実はイルカ=人間並み説は、1962年にアメリカの脳科学者ジョン・C・リリーが発表した「仮説」にすぎず、未だ科学的に実証されてはいない。そもそも動物の脳の大きさは知能の高さとは関係がないのだ。

 しかし『コーヴ』は、社会派ドキュメンタリーによくあるような自分たちの主張のレクチャーだけに終わらない。映画としてけっこう面白いのだ。

 入り江の撮影は簡単ではない。入り江に下りる道には高いフェンスが立てられ、地元の漁協が24時間交代で見張りに立つ。周囲は切り立った崖になっている。

 そこで撮影隊は隠しカメラで撮ることに決める。ハリウッドの特撮用小道具を作る職人に依頼して、カメラを隠すニセの石や木を作ってもらう。カメラは遠隔操作で動かす。それを仕掛けるために、タイペイの世界一高い高層ビルを登頂した冒険家を雇う。また、イルカの悲鳴を録音する水中マイクの設置には、素潜りの世界記録を持つ夫婦が参加する。彼らは深夜、軍事用の暗視ゴーグルを使って、闇にまぎれて入り江に侵入する。この過程はまるで『ミッション・インポッシブル』だ。

 このミッションには隊長がいる。リック(リチャード)・オバリーという老人だ。彼はもう30年間も世界各地でイルカを救うゲリラ活動を続けている。イルカ捕獲を妨害するだけではなく、イルカの曲芸にも激しく反対している。狭いプールに閉じ込めて芸を仕込むのは虐待だと。太地で入り江に追い込まれたイルカのなかから、イルカ調教師たちが曲芸につかえそうなイルカを選んでいく。ここから世界中のイルカ・ショーに輸出されるのだという。売れ残ったイルカが食肉にされるのだ。

 リック・オバリーは単なる同情ではなく、イルカを救うことに個人的な理由をもっている。彼はあの『わんぱくフリッパー』(64年~)のイルカを捕獲し、調教していた男なのだ。

『わんぱくフリッパー』はフリッパーというイルカと少年の友情と冒険を描いたTVドラマで、イルカの賢さ、可愛さ、忠実さはこの番組から世界に知られるようになった。「しかし、『フリッパー』が原因で世界中でイルカ・ショーが始まり、イルカが捕獲されるようになったのだ」とオバリーは自分を責める。

 フリッパーは5匹のイルカが演じたが、そのうちの1頭、キャシーというメスのイルカが毎週続く撮影のストレスで死んだ。

「自分で呼吸を止めたんだ。自殺だと思う」オバリーは言う。「キャシーは僕の腕のなかで死んでいった」

その日からオバリーは自らの贖罪のため、イルカを救うことに人生を捧げるようになった。

 オバリーの部隊はついにイルカ漁の現場撮影に成功する。血で真っ赤に染まった入り江を銛で刺されて断末魔の叫びをあげてのたうちまわるイルカ。オバリーは液晶テレビを胸に抱えて、入り江のビデオを上映しながら、IWCの会場に乱入し、渋谷の交差点に立ち続ける。彼の執念は、白鯨を倒すことに取り付かれたエイハブ船長を思わせる。あ、逆か。

プロフィール

町山智浩

カリフォルニア州バークレー在住。コラムニスト・映画評論家。1962年東京生まれ。主な著書に『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』(文芸春秋)など。TBSラジオ『キラ☆キラ』(毎週金曜午後3時)、TOKYO MXテレビ『松嶋×町山 未公開映画を観るテレビ』(毎週日曜午後11時)に出演中。

ニュース速報

ワールド

北朝鮮の太平洋での水爆実験、専門家は「大災害」の恐

ビジネス

ギリシャ、第3次支援終了後も監督へ=ユーログループ

ビジネス

7月改定景気動向指数、一致指数は前月比-1.1ポイ

ワールド

米ハリケーン救済基金への企業寄付、合計で2.25億

MAGAZINE

特集:対中国の「切り札」 インドの虚像

2017-9・26号(9/20発売)

中国包囲網、IT業界牽引、北朝鮮問題解決...... 世界の期待が高まるが、インドの実力と真意は不透明だ

グローバル人材を目指す

人気ランキング

  • 1

    フィンランドで隠し撮りされた「怪物」の悲劇

  • 2

    「クラスで一番の美人は金正恩の性奴隷になった」

  • 3

    金正恩の狂人っぷりはどこまで本物か?

  • 4

    北朝鮮「ロケット米全土到達」警告にトランプ反発 …

  • 5

    新型アップルウオッチは、ポストiPhoneの大本命

  • 6

    猫は固体であると同時に液体でもあり得るのか!? 

  • 7

    北朝鮮の女子大生が拷問に耐えきれず選んだ道とは...

  • 8

    北朝鮮、水爆実験強行なら分水嶺 トランプ政権は深…

  • 9

    ペットショップは「新品」の犬を売ってはいけない

  • 10

    世界初の頭部移植は年明けに中国で実施予定

  • 1

    「クラスで一番の美人は金正恩の性奴隷になった」

  • 2

    フィンランドで隠し撮りされた「怪物」の悲劇

  • 3

    北朝鮮の女子大生が拷問に耐えきれず選んだ道とは...

  • 4

    世界初の頭部移植は年明けに中国で実施予定

  • 5

    ペットショップは「新品」の犬を売ってはいけない

  • 6

    北朝鮮外相「太平洋でかつてない規模の水爆実験」示唆

  • 7

    ロヒンギャを襲う21世紀最悪の虐殺(後編)

  • 8

    猫は固体であると同時に液体でもあり得るのか!? 

  • 9

    トランプ、北朝鮮の「完全破壊」を警告 初の国連演…

  • 10

    ロヒンギャを襲う21世紀最悪の虐殺(前編)

  • 1

    「クラスで一番の美人は金正恩の性奴隷になった」

  • 2

    ビンラディンの「AVコレクション」が騒がれる理由

  • 3

    北朝鮮問題、アメリカに勝ち目はない

  • 4

    強気の北朝鮮 メディアが報じなかった金正恩の秘密…

  • 5

    iPhoneX(テン)購入を戸惑わせる4つの欠点

  • 6

    北朝鮮の女子大生が拷問に耐えきれず選んだ道とは...

  • 7

    「人肉は食べ飽きた」と自首した男と、とんでもない…

  • 8

    フィンランドで隠し撮りされた「怪物」の悲劇

  • 9

    イルカの赤ちゃんはなぶり殺しだった

  • 10

    ダイアナが泣きついても女王は助けなかった 没後20…

PICTURE POWER

レンズがとらえた地球のひと・すがた・みらい

全く新しい政治塾開講。あなたも、政治しちゃおう。
日本再発見 シーズン2
ニューズウィーク試写会「ザ・サークル」
定期購読
期間限定、アップルNewsstandで30日間の無料トライアル実施中!
メールマガジン登録
売り切れのないDigital版はこちら

MOOK

ニューズウィーク日本版 別冊

0歳からの教育 知育諞

絶賛発売中!