コラム

「デフレ脱却」で貧しい労働者がさらに貧しくなる

2014年10月22日(水)17時40分

 政府は10月の月例経済報告で、基調判断を「このところ弱さがみられる」と下方修正した。今年4~6月期の実質成長率は年率-7.1%だったが、7~9月期の成長率もその半分程度しか戻さず、通年ではゼロ成長に近い状態になる見通しが強まっているが、雇用情勢は改善している。8月の完全失業率は3.5%、有効求人倍率は1.1で、22年ぶりの高い水準が続いている。

 普通は不況になると、まず雇用に影響が出るものだが、日本の特徴はきわめて低い失業率が続いていることだ。その最大の原因は、皮肉なことだが、アベノミクスによる「デフレ脱却」である。

図1 完全失業率と実質賃金(右軸)の変化率(出所:厚生労働省)

図1 完全失業率と実質賃金(右軸)の変化率(出所:厚生労働省)

 図1でもわかるように、民主党政権の時代に5%以上に上がった失業率が、安倍政権になってから下がった。その最大の原因は、実質賃金の低下である。特に昨年なかばから実質賃金(名目賃金/物価指数)が大きく下がったあと、昨年末から失業率が下がった。実質賃金が下がった最大の原因は、物価が上がったことだ。

 これがデフレ脱却の目的である。内閣官房参与の浜田宏一氏も明言するように「名目賃金は上がらないほうがよい」のだ。賃金は労働サービスの価格だから、すべての市場価格と同じように、価格が下がると労働需要(雇用)は増える。これがインフレで景気を回復させるメカニズムだ。

 しかしこういうメカニズムは短期的なもので、いずれは労働需給が飽和し、賃金上昇に転じるはずだ。名目賃金はプラスになり始めたが、実質ベースでは依然として下がっている。その原因は、日本の労働生産性が下がったからだ。長期的には実質賃金は労働生産性(付加価値/従業員数)で決まるが、図2のように日本の労働生産性は2000年代に入って下がっている。

図2 労働生産性(出所:法人企業統計)

図2 労働生産性(出所:法人企業統計)

 この最大の原因は、労働生産性の高い製造業の海外移転が進み、生産性の低い非製造業の比重が高まったからだ。特に日本の建設業は公共事業に依存し、流通・小売り業は零細で効率が悪く、雇用の増えている介護は規制が過剰だ。おまけに労働人口は毎年1%近く減っている。こういう供給制約がボトルネックになって、成長をさまたげているのだ。

 だから労働市場を流動化して、労働生産性の低い企業から高い企業への雇用移転を促進する必要があるが、厚労省は一貫して正社員の既得権を守り、流動化を阻害してきた。今国会の焦点になっている労働者派遣法改正案は、今まで専門職を除いて3年に限定されている派遣期間を無期限にするものだが、個人の雇用契約は3年で打ち切られる。
 
 これに対して民主党は「派遣を無期限にするのは改悪だ」といっているが、これは逆である。派遣労働の供給を増やせば、労働移動が進んで生産性は上がり、長期的には賃金も上がる。むしろ今は無期限に働ける専門職が3年で契約を打ち切られることが問題なのだ。ところが野党は労働組合の反発を恐れ、正社員の既得権をおびやかす派遣労働者を減らすために今の規制を続けるように求めている。

 日本の製造業が「空洞化」して非製造業の比率が高まると、労働生産性が低下することは避けられない。おまけに単純労働者の賃金は新興国に近づくので、長期的にはまだ下がるだろう。これが80年代以降のアメリカに起こったことで、日本との競争に負けた製造業の労働者がレイオフされ、低賃金の流通業などに再就職して賃金を切り下げた。

 だから国際競争力を維持する上で賃下げは避けられないが、労働生産性が上がらないと、非正社員がますます貧困化するだけに終わる。付加価値の高い仕事を創造するとともに、情報技術で事務職の効率を上げて労働生産性を上げ、労働市場を流動化する改革が急務である。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

ニュース速報

ワールド

バングラ警察、ダッカ飲食店襲撃事件の首謀者を射殺 

ワールド

トランプ氏、米国の不法移民問題で31日に演説

ビジネス

他の経済策が役割果たさなければ低金利続く=クーレE

ビジネス

米FRB議長ら、次の景気後退時の政策ツールを議論

MAGAZINE

特集:世界が期待するTOKYO

2016-8・30号(8/23発売)

リオ五輪の熱狂は4年後の東京大会へ── 世界は2020年のTOKYOに何を期待するのか

人気ランキング

  • 1

    日本の貧困は「オシャレで携帯も持っている」から見えにくい

  • 2

    マイナス金利「量・質とも緩和余地ある」黒田日銀総裁

  • 3

    中国で性奴隷にされる脱北女性

  • 4

    北朝鮮の女子大生が拷問に耐えきれず選んだ道とは...

  • 5

    日本のアフリカ市場出遅れ、問題は企業サイドに

  • 6

    アメリカ海軍、ペルシャ湾でイラン艦艇に警告射撃 2日連続で異常接近

  • 7

    ハードウェアも電力も使わずに動く、完全にソフトな「タコ型ロボット」

  • 8

    イタリア中部、地震活動地帯でも歴史建造物と財政難で対策遅れる

  • 9

    誘拐事件を繰り返し裕福な生活をしていた、アルゼンチン家族の闇

  • 10

    フィリピン、ドゥテルテ大統領就任後の7週間で麻薬絡みの殺人1800件に

  • 1

    フィリピンのドゥテルテ大統領が国連脱退・中国と新国際組織結成を示唆

  • 2

    海保の精神は「正義仁愛」――タジタジの中国政府

  • 3

    中国で性奴隷にされる脱北女性

  • 4

    オリンピック最大の敗者は開催都市

  • 5

    北朝鮮の女子大生が拷問に耐えきれず選んだ道とは...

  • 6

    歯磨きから女性性器切除まで、世界の貧困解決のカギは「女性の自立」にある

  • 7

    NSAの天才ハッカー集団がハッキング被害、官製ハッキングツールが流出

  • 8

    イタリア中部地震、死者少なくとも159人 多くは休暇シーズンの観光客か

  • 9

    イタリア中部地震で37人死亡、市長「生き物の気配がしない」

  • 10

    日本の貧困は「オシャレで携帯も持っている」から見えにくい

  • 1

    北朝鮮の女子大生が拷問に耐えきれず選んだ道とは...

  • 2

    中国衝撃、尖閣漁船衝突

  • 3

    戦死したイスラム系米兵の両親が、トランプに突きつけた「アメリカの本質」

  • 4

    フィリピンのドゥテルテ大統領が国連脱退・中国と新国際組織結成を示唆

  • 5

    日銀は死んだ

  • 6

    海保の精神は「正義仁愛」――タジタジの中国政府

  • 7

    【原爆投下】トルーマンの孫が語る謝罪と責任の意味(前編)

  • 8

    トランプには「吐き気がする」──オランド仏大統領

  • 9

    イチロー3000本安打がアメリカで絶賛される理由

  • 10

    競泳金メダリストの強盗被害は器物損壊をごまかす狂言だった

 日本再発見 「世界で支持される日本式サービス」
 日本再発見 「世界で支持される日本式サービス」
アンケート調査
定期購読
期間限定、アップルNewsstandで30日間の無料トライアル実施中!
メールマガジン登録
売り切れのないDigital版はこちら

MOOK

ニューズウィーク日本版別冊

0歳からの教育 育児編

絶賛発売中!

コラム

パックン(パトリック・ハーラン)

芸人も真っ青? 冗談だらけのトランプ劇場

小幡 績

日銀は死んだ