コラム

もはや問題は「増税か歳出削減か」でも「増税か成長か」でもない

2011年11月24日(木)18時46分

 TPP(環太平洋パートナーシップ)参加をめぐる騒動が一段落して、政局の焦点は消費税に移ったようだ。しかし増税賛成と反対に分かれているのかというと、そうでもないのがややこしいところだ。かねてから増税論者の野田首相は、年末までに消費税率の引き上げ時期を含む税制の抜本改革案を取りまとめようとしているが、小沢一郎氏は増税に反対の立場を明らかにし、党内対立が激化している。

 しかし反対派も「増税するな」とは言っていない。小沢氏も「増税する前に無駄を徹底的に省かないと国民の理解は得られない」という建て前論だ。それはおっしゃる通りだが、1000兆円を超える政府債務を削減するには「無駄を省く」程度ではだめだ。以前のコラムでも書いたように社会保障を大幅に削減しなければならないが、年金を物価スライドで下げるだけでも大騒ぎの民主党政権には期待できない。

 野党も、この問題については歯切れが悪い。「消費税10%」を公約に掲げている自民党は「民主党は公約違反だ」という手続き論で、中川秀直氏などの党内の増税反対派は「成長率が上がって税収が増えたら、増税しなくても財政再建できる」という。これも理屈の上ではおっしゃる通りだが、そのためはどれぐらい成長率が必要だろうか。

 財政赤字が発散しないための条件は、ドーマー条件として知られている。簡単にいうと、プライマリーバランス(国債の利払いを除いた財政収支)が均衡しているときは、名目成長率が名目金利を上回れば財政は維持可能である。国債の利払いは金利の分だけ増えるが、GDP(国内総生産)がそれと同じ比率で成長すると政府債務のGDP比は変わらないのだ。

 これは小泉内閣の経済財政諮問会議で「竹中・与謝野論争」として話題になったが、現在はプライマリーバランスの赤字が大きいので、それが拡大しないためには成長率は金利よりかなり大きい必要がある。金利を1%とすると、1人あたり3.7%の実質成長率が必要だが、これは非現実的だ、というのが小黒一正氏(一橋大学)の計算である(『日本破綻を防ぐ2つのプラン』)。

 これに対して、名目成長率は「実質成長率+物価上昇率」なので、実質成長率が低くても物価が上がれば名目成長率は上がる、という理屈もある。だから日本銀行がインフレ目標を決めて大量に通貨を供給し、インフレを起こせばいい、というのが、竹中平蔵氏や中川氏などの「上げ潮派」の主張で、国民新党やみんなの党なども同様の主張をしている。しかし現在の実質成長率は1%以下だから、3%近いインフレを起こさなければならない。これも非現実的だ。

 同じような議論がアメリカでも行なわれている。FRB(連邦準備制度理事会)が名目成長率ターゲティングを決め、今のように実質成長率が低いときはインフレを人為的に起こすべきだ、というものだ。まさに10年前に日本で行なわれた上げ潮派と財政タカ派の論争が、アメリカで再現されているのだ。

 この点で日本は世界のデフレ先進国だから、海外に教えることができる。その経験からいえることは、金利が(いまアメリカでも起こっているように)ゼロに張り付いた流動性の罠に陥った状態で中央銀行が人為的にインフレを起こすことは、きわめて困難だということである。日銀は量的緩和という方法で通貨の大量供給を5年近く続けたが、インフレは起こらなかった。

 しかしインフレを確実に起こす方法がある。それは日銀が国債を無限に引き受けて通貨を爆発的に供給することだ。それが今、欧州で起ころうとしていることである。ECB(欧州中央銀行)は、ギリシャやイタリアなどの債務不履行を防ぐために国債を引き受けろという圧力に直面している。それをやるとインフレ・ユーロ安が起こって危機は回避できる、というのが一部のエコノミストの主張だが、そのインフレは止められない。止めたらギリシャやイタリアの財政が破綻するからだ。

 この点では、欧州は日本の先輩である。日本も、早ければ5年以内に欧州と同様のジレンマに直面する可能性がある。そのとき日本がどうなるかを描いた劇画『もし小泉進次郎がフリードマンの「資本主義と自由」を読んだら』を今週、出版する。日本は今や「増税か歳出削減か」でも「増税か成長か」でもなく、「増税か財政破綻か」という状況なのである。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

北朝鮮「圧倒的な軍事力構築継続へ」、金与正氏が米韓

ビジネス

中国人民銀、国債売買を政策手段に利用も=高官

ビジネス

米テスラ、新型モデル発売前倒しへ 株価急伸 四半期

ビジネス

米経済、「信じられないほど」力強い=JPモルガンC
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 2

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の「爆弾発言」が怖すぎる

  • 3

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴らす「おばけタンパク質」の正体とは?

  • 4

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 5

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 6

    「なんという爆発...」ウクライナの大規模ドローン攻…

  • 7

    イランのイスラエル攻撃でアラブ諸国がまさかのイス…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 10

    ロシア、NATOとの大規模紛争に備えてフィンランド国…

  • 1

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 6

    「毛むくじゃら乳首ブラ」「縫った女性器パンツ」の…

  • 7

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 8

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 9

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 10

    ダイヤモンドバックスの試合中、自席の前を横切る子…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこと」目からうろこの健康法

  • 4

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の…

  • 5

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

  • 10

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story