アステイオン

原子力

ウクライナと日本の核──感情の前景化にあらがって

2022年11月24日(木)08時03分
武田 徹(ジャーナリスト、専修大学文学部ジャーナリズム学科教授)


最近、日本では電力需要のピークを迎える夏と冬に停電の可能性がしばしば指摘される。福島第一原発事故以後、それまでのように原発に頼れなくなったことが原因だ。とはいえ原子力に代わって期待を集めた再生可能エネルギーは主な電力源とするにはまだ時期尚早で、結果として電力需給逼迫のてっとり早い解決策としては火力発電所の稼働率向上に頼らざるを得なかった。

だが、二酸化炭素排出の増加は避けられないし、ウクライナ侵攻以後、ロシアが化石燃料資源の輸出量を絞った影響で燃料代は高騰し、電力料金値上げにつながっている。

そんな状況の中で実施されたにもかかわらず7月の参院選で原発の扱いは論点にならなかった。原発を巡る反対と推進の根深い対立の構図に巻き込まれると選挙で不利になると考えた結果だったのかもしれないが、停電が起これば経済社会活動に支障を来すし、高齢者や病気療養中の人にとっては生命に危険すら及びかねない。

リスク回避の議論に死角があってはならず、原発再稼働是非の検討は不可避だが、一方で国内の原発には使用済み燃料の最終処分法が決定していない、いわゆる「トイレなきマンション」問題を抱えているし、原発はそれ自体が攻撃対象となる大きなリスク源であることもウクライナ侵攻は示した。

そうした事情を総合的に勘案して、原発の再稼働を認めるか、認めるとしたらどのような条件で、いつまでの稼働を認めるか議論する。それが政治主導で始まらないのであれば、報道が言論のアリーナを用意すべきだったのではないか。

核問題を前にすると不安や忌避感、あるいはそうした生理的反応に対するやはり感情的な反発などが先立って丁寧な議論の邪魔をする。その弊害はウクライナ侵攻でも国内の原発問題にも共通して生じている。

周辺をアウトフォーカスにすることで前景の被写体を浮き立たせる写真撮影法があるが、ジャーナリズムにその手法は似合わない。背景と前景の関係を議論するために隅々にまで焦点を合わせた記述が求められよう。

(2022年8月15日記)

武田 徹(Toru Takeda)
1958年生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科修了。大学院在籍中より評論・書評など執筆活動を始める。東京大学先端科学技術研究センター特任教授、恵泉女学園大学人文学部教授を経て、現職。専門はメディア社会論。著書に『偽満州国論』『「隔離」という病い』(ともに中公文庫)、『流行人類学クロニクル』(日経BP社、サントリー学芸賞)、『原発報道とメディア』(講談社現代新書)、『暴力的風景論』(新潮社)、『現代日本を読む──ノンフィクションの名作・問題作』(中公新書)など多数。


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 「アステイオン」97号
 特集「ウクライナ戦争──世界の視点から」
  公益財団法人サントリー文化財団
  アステイオン編集委員会 編
  CCCメディアハウス

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